勢いだけのヒンディーからの卒業を夢みて

中村です。

 

僕にとって、新年一発目の投稿になってしまいました。

 

メンバーが新年色々とバタバタしたのと、

僕はインドの風邪にやられてました。すみません。

インドの風邪がね、お土産屋のおっちゃんくらいしつこくて。なかなか手強いですよ。

 

中高と皆勤賞の僕でも、太刀打ちできず。

でも、この風邪のおかげで、痰を英語でsputumということを学びました。

(nativeは使わないなんて記事もありましてが。インドのバイヤーには通じました。)

一つでも学びを得られたことはいいことですね。

 

 

今日はですね、インドに関する気付きというよりは、

インドで得た「自身が大切にしたい姿勢」に関する気付きについて書きます。

 

きっかけは、以下の二つ。

 

①ヒンディー語を勉強し始めたこと。

②ジムに通い始めたこと。

 

一見関係ないように思える二つだけれども、

実は二つに共通している大切なことがあるんです。

 

それは、「継続することが大切」だということ。

そして継続するためには、「自身で戦略を練る必要がある」ということ。

 

①に関してだけど、僕の場合は、インターンの業務で農村に行ったり、家の近くのちっぽけなキオスクで色々買い物をする人間だから、ヒンディー語が役に立つシーンはかなりある。その度に、ヒンディー語をペラペラに話せればな~って思うわけですが・・。

 

思うだけでは、なんにも始まりません。努力なくしてできるのは、せいぜい4つくらい大事な単語を覚えてそれを連発して笑いを取るくらいでしょうか(完全に今の自分)

 

でもそもそもですよ、何なんですか、あのヒンディー語の文字?

 

ニョロニョロ。

たくさん。

ニョロニョロ。

 

これまで、何度も挑戦してきましたが、挫折を繰り返し、インターンも残りわずかとなりました。

 

僕はですね、意外と完璧主義的なところがありまして(本当です)、ヒンディー語をやる時も、「文字から全部やりたい」と思って何度も挫折してたんですよね。

 

でも、冷静に考えてみるとですね。

僕の最大の武器である、accha(good), theek(ok), hanji(yes), nahi(no), 文末のna(なんでも疑問形にできちゃう)は、ハウスキーパーとその子供たちから学んだもの。

んで、なんで覚えているからというと、しつこいほど使っているから。

なら、わざわざ文字から入らずに、会話から学べばいいんだなと思ったわけですよ。

なので今は、会話を少しずつ学んでいる感じです。

 

でも、学んだことをアウトプットしなければ、すぐに忘れてしまうし、それを継続しなければ、また忘れてします。そして、どう学ぶのがいいのかは、しっかり戦略を考えなければならない。

 

長々と書いてきたけど、

要するに、言いたいことは、「継続することと戦略の大切さ。」

 

 

それともう一つ②ジムの話。

最近にやって、やっとお手頃な価格で通えるジムを見つけたので通い始めました。

何せデリーは大気汚染がひどくてですね、外でランニングなんてできたもんじゃない。

 

ここでの出来事はですね。

 

例えば、ランニングをするとき、自分の頭の中のイメージは現役時代のものだけど、体は相当衰えていて。

それは「えっ、まじ?」って自分でも驚いてしまうほど。

 

腕立てをする時だって、「うぅわぁ」って感じにできない。

 

それでいて、誤魔化しもきかないんですよ。

腕立てしているのは僕であって、他の誰かの力を借りているわけではないですから。

 

もちろん恥ずかしいですよ。

インドのジムはやたらガチ勢が多くてですね。タンクトップ着てるマッチョみたいな。

そんな人の前で、プルプルになりながら、腕立てなんてしてたら、マジで恥ずかしい。

そこに女の子なんていたら、もうマジで面目が立たない。

 

それでいて、体というものは、一夜にして変わるものではないから、

この恥ずかしさは、ある一定時間耐え抜かないといけない。

 

やめれば確かに恥ずかしさからは解放されるけど、

恥ずかしからといって、やめたら一生このままなんですよ。

それは嫌だなぁと思った僕は、「別にあの女の子と付き合うわけじゃないし」なんてくだらない理由をつけて、

今もぼちぼちジムに通っているわけですよ。

 

 

つまりですね、今回僕が気付いたことというのは、

 

「継続することの大切さ」なんだけれど、これは業務でも言えて。

 

何事をやるにも、一日で完結することってあんまりない。

作業自体が一日で終わったとしても、それを業務の大きな流れの一つのうちのどの部分であったかを見ると、結局は継続した業務の一部だってことが明らかになる。

 

ここまで書いてきて、今更だけど、「継続することの大切さ」って中学生の作文みたいですよね。

 

いや、本当にそうなんですよ。

だから、「継続することの大切さ」を学びましたと言って終わってしまったら、

自分が中学時代から成長してないことになる。もしくは、成長を言語化できるほどの能力を習得してこなかったことになる。

 

さすがにですね、僕も中学時代よりは成長しておりまして、

「継続を可能にするために戦略が必要」そして「その戦略をどう立てていくか」ということを考えるようになったんです。

 

これはですね、

「継続することが大切である」みたいに根性論で突き進むだけではなくて、

どうすれば、自分をゴールに向かうレールに乗せることができて、

どうすれば、自分をレールから途中で外れることなく走らせることができて、

そして、どうすれば、レールをもっともっと先に延ばしていけるのか。

さらには、どうすれば、仲間に自分のレールに一緒に乗ってもらうのか。

 

これは次回以降にまとめますが、結局、日本にいようと、インドにいようと、

大切にしないといけない行動の軸みたいなところは揺るがないんだなぁと改めて実感いたしました。

 

中村

どきどきインド旅行

みなさんあけましておめでとうございます。三浦です。

 

いやー新年になってしまいましたね。それどころかもう気付いたら5日も過ぎてしまっています。

 

ベジタリアンの記事の締めくくりは次にして今日はインドで過ごした年末年始について書いていこうかなーと思います!

 

さてさて、私は年末年始インドの首都であるデリーと、その他北インドの都市に行ってまいりました!

 

日本から友人が来ていたために、30日の夜に出発し2日まで過ごしてまいりました。

 

実は2日月曜日は勤務日だったのですが、日本から友だちが来ていることを伝えおやすみを頂きました。

 

年末年始も関係なく2日から普通に仕事するんですから、働き者ですねインド人は。

 

 

30日の夜、仕事を終え颯爽と飛行機でデリーに向かいました。

 

飛行機を降りると目の前は白く曇っており、これが空気が汚いと有名なデリーか、と思ったら、ただの霧でした。

 

何よりもその寒さに驚き。

 

私の滞在していたハイデラバードは比較的暖かく、夜でもギリ半袖で過ごせます。

 

飛行機も暑かったので半袖半パンで過ごしていました。が、降りた瞬間の寒さに耐えられず薄手の長袖に手を通しました。

 

周りにはダウンを着ている人もいたので、割と寒かったのでしょう。身体の感覚がおかしくなってきております。

 

4日間ずっと日本から来た友人と過ごしていましたが、辛さに対する態勢は相当なものになったようです。

 

やはり、4か月間毎日スパイスを取っていると舌が麻痺してくるようです。

 

 

 

 

旅行一日目の目的地はアグラ!

 

ここは知らない人はいないでしょう、タージマハルがある街です!!

 

電車でも車でも割と時間が掛かるようだったので、早起きしようと心に決めて寝ましたが、しっかり寝坊しました。

 

ホテルで朝昼兼用の食事を済ませ、駅に出発!

 

到着!と思ったら、駅の中のツアリストセンターが開いてないから近くのところに行ってくれと。

 

そこに連れて行ってくれたのは、ごっついターバンを巻いたおっちゃん。

 

「どこからきたの?」

 

「日本だよー」

 

「おおー日本ね!! ナマステ―!!」

 

(日本人って聞いといてナマステ―かい!!)

 

と、いう会話を楽しんで施設に到着。

 

外国人用のところに案内され、そこにいたのは長い髭を蓄えたかっこいいおっちゃん。後から聞いたらイスラム教だとか。

 

「Where are you from?」と聞かれ、

 

「ジャパァン!!」となぜか元気に答えたら、

 

「あ、日本人?日本語でいいよ?今日日本人多いね。」

 

「!!!!!」

 

驚きすぎて声が出ませんでした。

 

何に驚いたって、日本語を話せるだけでなく、その話し方がもう慣れ切っていたこと。

 

どうやら後で話を聞くと日本の旅行会社で7年間働いていたよう。働いていたのが私の出身である愛知県で、そこで少し盛り上がったりもしました。

 

日本語を使われると、油断させて何か騙してくるんじゃないか!と疑ったりしますが、そんなレベルではなかったですね。

 

彼はなんと、14か国語も話せるらしく、しかも話すのがお上手。

 

すごく親切に話してくれて、結局旅行の予定は大幅に変わりました。電車を使わずに車のチャーターになったり、ジャイプールも目的地に加わったり。

 

一番変わったのはお金ですが。(あれ、だまされてる?)

 

まぁ列車は霧で全部止まっているか、大幅な遅延。アグラもその人曰くタージマハルしかなくて面白くないよ!ってことだったので仕方ありません。

 

何よりも彼のサービスのレベルの高さに惹かれました。

 

この人から、買いたい。そう思わせる抜群の営業能力に感動。非常に勉強になった時間でした。

 

 

 

さてさて、お金を払ったらすぐに車に乗って移動!これが大変な道のりでした!

 

デリーからアグラまで4時間ほどは掛かったと思います。

 

途中は何もない草原のような場所が広がり、途方もなく変わらない景色。

 

インドって広いんだなー。なんて感じながらの移動になりました。

 

その日は、高級感あふれるホテルに宿泊。自分の場違いすぎる格好に怯えながら、来る年明けに備えていました。

 

初めての海外での年明け。日本との時差は3時間半。

 

なんだか不思議な感じでした。

 

日本が年明けのころ友人が日本の家族と電話をしていて、あけましておめでとうーなんて話したり、自分も友だちと連絡をしたり。

 

あー日本年明けたなーっと思ってもこっちは8時半。まだまだ2016年でした。

 

地球ってなんだか大きいんだなぁって、時差をはっきり意識しました。

 

世界中の人といつでも繋がれるようになっているのは、便利でどこか不思議ですね。

 

なんとなく自分の中で新年が来てしまった私は、インドの新年を待たずして寝てしまいました。(友達にめっちゃ怒られた。)

 

まさかの寝たまま年明け。

 

 

 

 

さて新年一発目!豪華な朝食の後にタージマハルへ!

 

しかしまた目の前が目の前た真っ白!

 

アグラは霧がかかりやすい場所のようです。

 

タージマハルも真っ白で綺麗な建物なので、全然見えませんでした魅惑の雰囲気を放っていました。

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手前の人めっちゃこっち見てる。

 

荘厳な雰囲気。

 

あんまり動かないもの見ても感動しないたちですが、やはり有名どころは違いましたね。

 

ガイドがいると見るだけではわからないことがよくわかるのでおすすめです。

 

その後、ガイドに勧められお土産屋さんに行きました。

 

はい。

 

・・・騙されましたこれは。

 

そのお店にはガイドさんの兄弟がいて、めちゃめちゃ宝石を進められます。笑

 

買えるわけないのに、新年初めてのお客さんでこの一年に幸運をもたらすから!という営業文句を振りかざしてきます。

 

「この石は星がー・・・」

 

「この石はタージマハルで使われている石でー・・・」

 

へぇー。全然興味ない。笑

 

ルビーなんかは初めて生で見て、賢者の石のような輝きに(勝手なイメージ)かっこよさを感じましたが、まぁ買う意思はありませんでした。

 

その代わりにちょっとしたお土産を買って次の目的地へ

 

!!

 

高いものを押し付けてから安いものを買わせる作戦だ!!

 

やられましたね。皆さんは気を付けて!

 

 

 

さて、話をだいぶはしょって次のジャイプールの話を!

 

ジャイプールではゾウさんに乗れます。

 

ここアンヴェール城で!

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ここをゾウに乗って登っていきます!

 

ふもとに行くと、、

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ゾウゾウゾウゾウゾウゾウゾウ!!ゾウゾゾウウ!!!

 

 

 

そして乗るための列がすごい!

 

しかもその間のお土産売りがすごい!

 

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乗っている間は揺れがすごいし、自分の乗ってるゾウの姿は見えないので、なんだかよくわかりませんでしたが。笑

 

ゾウ遣いの操るゾウ語に驚きながら、貴重な経験を楽しみました。

 

全然行く予定じゃなかったジャイプール。おすすめです!

 

 

 

 

最後はデリーに戻ってそこで同じくインターンシップに励む友達と会いました。

 

彼曰く、一日過ごしたらタバコ2箱半のデリーの空気を楽しみながら(心なしか口がじゃりじゃりした)インドの首都で旅行の最後を締めくくりました。

 

結局弾丸ツアーになり、車の中で過ごす時間が長くなってしまいました。

 

インドではもう去年9月の初めから4か月過ごしておりますが、まだまだ堪能できておりませんね。

 

デリーも消化不良だし、武本君、中村君がブログでも書いているバラナシにも行きたい!

 

4日間一緒に過ごした友人もぜひまたインドに来たい!とのことだったので、いつか一緒に北インドに戻って来たいと思います。

 

インドの新たな魅力を感じたデリー、アグラ、ジャイプール旅行。

 

長期の滞在でしかわからないことは多いけど、長期滞在だからといってルーティーンワークでは気づきはありません。

 

色々な経験と気づきのために、これから残りのインターン期間を動いて考えて、ブログたくさん書きます!!

 

三浦

宗教・クリケット・ボリウッド・・・この3つがインドにとって○○?

武本です。

みなさま、新年あけましておめでとうございます。

 

2016年は自分にとって、激動の年となりました。

昨年のお正月はバラナシで迎え、今年はハイデラバードにて。

自分でもまさか二年連続で新年をインドで迎えるとは予想外でしたが、インドの存在感があふれる、スパイスの効いた2016年になったかと思います。

また、たくさんの方にお世話になり、支えられ、無事に新年を迎えることができました。

2017年も更なる躍進の年となるよう頑張っていきたいと思います。

 

前回の記事

 

jugaad-india.hatenablog.com

 

の続編を書こうと思ったのですが、今日はちょっと別の話を。

 

先日、電車でハイデラバードからデリーへ向かっていたときのことなのですが、

(約20時間かかりました・・・)

そこで1人のバイヤーと出会いました。

自称職業がDJで、英語を非常に流暢にあやつり、見るからにお金持ちそうだなあという風貌の彼と電車の中で仲良くなり、いろいろなことを話しました。

 

彼によれば、3つのものがなくなれば、インドは世界でNO1になる!とのこと。

(No1の定義や、そもそもNo1なんでないやろ、というご意見もあるとは思いますが、

ここでは少し置いておきます)

 

その3つのものとはズバリ!

 

①宗教

②クリケット

③ボリウッド映画

 

 

・・・・・

 

 

いやいや、これなくなったらインドじゃなくなるやろ・・・

 

 

と思ったのは自分だけではないはずです。

 

少しだけ解説を加えると、

 

たとえばヒンドゥー教。寺院に行けばわかるのですが、本当にたくさんの人が毎日訪れます。そこで、日本と同じように、いや、もしくはそれ以上に熱心に、人々は寄付をします。

彼がによると、その額はインド全土で考えるととんでもない額になるとのこと。寺院の横で家もなく、物乞いをしている子どもがいる一方で、神様のためという言い分で聖職者に寄付をする・・・これはおかしいんじゃないかというのが彼の言い分でした。

 

クリケットにしても、ボリウッド映画にしても彼が言いたかったのは同じことで、クリケットのインド・パキスタン戦でどれだけの額がギャンブルとして賭けられるか、ボリウッド映画にしても、高額な製作費をかけて作る映画、果たして本当にいい映画はどれだけあるのか、などなど。

 

初めこそ言ってることを理解するのは難しかったですが、

よくよく聞いてみると、なるほど、と思うこともありました。

 

中村が年末の記事で書いていましたが、

たとえばインドで貧困層という言葉を使う時、その人たちがどのような暮らしを送っていて、どういう趣向を持っているのかを理解することが重要で、それを知ることなしに貧困を解決したいというのは、不可能で、同時に危険なことでもある、と。

本当にその通りで、そもそも彼らの暮らしを知ることなしに、

「きっと自分たちの様な豊かな暮らしをしたいだろう」

という憶測で行動するのは独善的で、押しつけがましい気もします。

 

もちろん関わりたい人々を理解することも重要なのですが、それと同時に今回彼が教えてくれたような現実があるということ。

 

人々がどのように、なんのためにお金を使うのかということは、社会的・文化的な影響も大きくて、インドでは特にそれが顕著なのではないでしょうか。

 

そして、それらを理解することもまた、自分とインドの関わり方、関わりたい人々を考えるときに、大事になるんだと感じています。

 

以上、武本でした。

読んでいただいた方、ありがとうございます!

ブログも残り2カ月ですが、今年もよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

『インドに来てよかった』と心底思います。

中村です。

 

とうとう2016年も終わりですね。

本当に色々と新しいものを見れた年でした。

 

去年の今頃は、ポルトガルでビールを飲みながら美味しいものを食べてた僕は、

インドに来るなんて夢にも思ってなかったけど、

 

こうしてインドを満喫してるんですもん。人生何があるかわかりませんね。

 

 

いつも本題の前にどうでもいい話を書くけど、今日もそれをちょっとばかり。

今回は「チョタひろ」ではなくて、彼のお姉ちゃんとの話。

 

昨日の朝、彼女が三つ編みを後ろに結ってたから、

それを馬を走らせる時みたいに、「ヒヒィ、ヒヒィー」って軽く引っ張ったら、

 

彼女がなんと言ったかというと、

 

UP(インドの州)の井戸ポンプじゃないわよ!』って。

 

伝わります? 井戸ポンプ?

あの、となりのトトロのおばあちゃんの家の井戸と云うとわかりやすいかな。

 

日本人の中で、三つ編みを引っ張った時に、

このワードを出せる人はそういないですよね。

朝から笑いましたね。(ますますインドが好きになりました)

 

 

 

ではでは、2016年最後の投稿。

業務をしていて考えたことを書きます。

 

今、業務として、これまで視察してきたプロジェクトをまとめているんだけど、

その過程で、「なぜ」っていうことをますます意識するようになったんです。

 

なんだろう、常識みたいなことって全て受け入れがちだけど、

本当にそうかな? そうなら、なぜそうなるの?ってな感じに。

 

例えば、マイクロファイナンスの話。

ユヌス氏が提唱してから、貧困削減の新たなアプローチとして注目されてきて。

今まで銀行の顧客にも見られてこなかった貧困層に、少額のローンを融資することで、彼らのビジネスを拡大させて、収入を増やして、・・・。貧困を解決するにつながるって勉強した時は、僕も「わぉ。すげぇ」って思った。ましては、ローンを受けたバングラの女性たちの笑顔の写真を見たら、心が揺れる思いがした。

 

成功した例も失敗した例もあると論文で読んだことがあるけど、

総じてマイクロファイナンスは、貧困削減に寄与すると考えていた。

 

でも、今、プロジェクトに関してまとめていると、マイクロファイナンスの概念から仕組み、細かなモデルの違いを調べるようになって。

そうすると、マイクロファイナンスという言葉が意味することって決して1つではないということがわかってきて。

 

しかも、これまではローン受給者を貧困層という枠組みでしか見なかったけど、

貧困層としてタグづけされている層には、実に多様なlivelihoodがあるということもインドにいて見えてきた。

 

だから「貧困を解決する」っていう言葉は、聞こえはいいけど、それだけではひどく抽象的すぎるんだということに気付いた。

 

例えば、スポーツが上手くなりたいって人がいるとする。

でも、スポーツと言っても、野球もあれば、サッカーもあれば、柔道もあるわけで。

それぞれ基礎体力が必要なことは共通しているけど、本当に野球が上手くなりたいなら、リフティングじゃなくて、キャッチボールの練習をするべきであって。リフティングが100回できるまで上達したからといって、いいピッチャーになれるかというとそうではないですよね。

 

何が言いたいかというと、貧困層という言葉は、

この例でいう「スポーツ」という言葉と重なって、

貧困を解決したいと言った時に、

それが「野球」なのか「サッカー」なのか「柔道」なのかがわからないと、

効果的なアプローチが取れないということなんですよね。

 

逆にいうと、対象者をしっかりと認識することは本当に大切なんだということ。

対象者が何者で、どのような暮らしをしていて、

何が足りていて、何が不足しているのかを認識する必要がある。

 

ただ、基礎体力が必要だってことはあらゆるスポーツに共通していたように、

貧困削減においても、ある種普遍的に効果が望めるアプローチもあるのかと思う。

それはおそらく、衣食住とか人権とか教育に関わるところなのかなと。

いくらトレーニングをしたくても、そのための身体や社会がなければ、実現しないわけで。

 

教育に関しては、ベースにもその後の発展にも関わるのだろうけど、

とりわけ基礎教育のようなところは、トレーニングをよりスムーズに実施するのに役に立つのかと。

 

というように、長々と説明してきましたが、つまりは対象者が見えてこなければ、明確な課題も対策も浮かび上がってこないということを言いたかったんです。

 

こういう視点を持てると、

 

インターン先のプロジェクトのスタートからゴールまでがよく見えてくる。

そこがよく見えてくると、現状の評価もできるようになる。

評価ができるようになると、改善案がないかを模索することができる。

改善案を模索していると、問題の大きさに途方にくれる。

一人じゃ分からんと、社員と意見交換する。

人と話すとプロジェクトの枠組みを超えて色々な情報が手に入る。

んで、「あっ!繋がった!!」って。物事が関連付いてくる。

これは、あれはどうなんだろうともっと知りたくなる。

論文を読む。人と話す。フィールドに行く。

新たな気付きが生まれる。

 

というようなサイクルができてくるんです。

 

だからこそ、インドに来て、この視点に肌感覚で気付けたことは、僕にとって非常にプラスになるかなと。

 

「インドに来てよかった」と心底思います。

 

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(なんの写真をあげるか悩みましたが、インドに来て初めて行ったフィールドワークでの写真。やっぱり現場を見れたことが自身にとって大きかったので。)

 

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(写真を撮ろうぜって集まってくる青年と。言葉は通じないけれど、楽しい時間を過ごした。)

 

では、皆さん、2016年お疲れ様でした。

こうして色々な学びを得られた2016年は、本当に多くの人の支えがあったからこそ実現したものです。お世話になった方のほとんどがこのブログを読んでいないと思いますが、この場を借りて、「ありがとうございました」と言わせて頂きます。

 

2017年も感謝の気持ちを忘れず、精進したいと思います。

 

中村

ベジタリアン③

どーもどーも三浦です。

 

クリスマスは楽しめないかと思っていたら、思いのほか楽しんでしまいました。

 

武本君にお誘いを受け、一緒にホームパーティーに参加してきました。

 

インド人の方もしっかりクリスマス楽しんでいましたね。ヒンドゥー教ですが。

 

日本ではよく、キリスト教でもないのにクリスマス祝って、わけわかんないよねなんていう自虐的なことをクリスマス辺りになるとよく聞きますよね。

 

ただインドでもクリスマスっていう言葉は飛び交うし、雰囲気は違えどしっかり楽しんでいました。

 

その辺り寛容なヒンドゥー教、他の文化を否定せず受け入れるあたりは、日本のその感覚と似たものがあるのではないかなと思いました。

 

 

 

 

さて、前々回、前回に引き続き、ベジタリアンについてのブログ!

 

jugaad-india.hatenablog.com

 

 

jugaad-india.hatenablog.com

 

それでは今日のテーマに行きましょう。

 

ベジタリアン③

~菜食主義と日本と水~

 

変なタイトルですねー。

 

ベジタリアン 日本 水

 

んー 菜食主義者に ジャパンに ウォーターーーーー!!!!

 

この三つの単語にどんな繋がりを見出すのか、腕の見せ所ですね。

 

 

 

 

まず、ベジタリアンと日本ってどうでしょうか。

 

日本で日本人のベジタリアンの方にあったことありますか??

 

少なくとも私はありませんね。みんなお肉大好きですよね。

 

ですが、日本に来ている海外の方だったらあったことがあるかも知れません。

 

 

 

 

クリスマス、インド人のお友達の家でパーティーをしたことは前述の通りですが、その中にもベジタリアンの方がいました。

 

彼女は日本語が驚くほど上手で、日本に半年滞在したこともあるようです。

 

私の会社の社長も、ナンバー2の方も日本に行ったことがあります。彼らもベジタリアンです。

 

さて、彼らは日本に行ったとき何を食べていたのでしょうか?

 

日本食と言えば、お寿司や天ぷら、すき焼きなんかもありますかね。

 

クールジャパンと謳って、日本の文化を世界に広めようとする中に、この我々が愛してやまない日本食も含まれているかと思います。

 

ただ、もちろんベジタリアンの方たちは食すことができません。

 

日本の誇る、広めたくて仕方のない文化も、信じることの違いによって阻まれます。

 

それはまだいいにしても、日本に来たベジタリアンの方たちが、食べ物に関して過ごしにくい国だと思ってしまう可能性があるのはどうでしょう。

 

日本でベジタリアンのレストランってどれくらいあるのでしょうか。東京などの都会や観光地にはそういったものもあるのでしょうか?あったら是非教えてください。

 

少なくとも、私が住む地域では見たことありません。

 

これは、ベジタリアンでも人によるようですが、調理場までノンベジのものと分かれていないと食べないという厳しい方もいるんだとか。

 

そうなると日本でそういったレストランを探すのは、さらに難しそうですよね。

 

インドに来るまではあまり感じませんでしたが、文化の溝は思いのほか深そうです。

 

 

 

 

さて、話を移って、「日本と水」について考えていきましょう!

 

これは感覚的にどうですかみなさん。日本と水。

 

日本は海に囲まれて、山もあってきれいな川も、私が愛してやまない琵琶湖もあって。

 

水資源豊富な国ですよね。恵まれた国だなーー。

 

 

 

って思っていました。

 

いや、確かにそれは間違いではないのですが、違った見方もできるようです。

 

それはバーチャルウォーターという視点!!

 

みなさんこの言葉を聞いたことがあるでしょうか?

 

私は以前途上国の水事情なんかを調べているときにたまたま知ったのですが。

 

このバーチャルウォーターとは、日本語にすると”仮想水”。

 

なんだかかっこよさを感じるのは私だけでしょうか。

 

これは環境省のサイトによると、

 バーチャルウォーターとは、食料を輸入している国(消費国)において、もしその輸入食料を生産するとしたら、どの程度の水が必要かを推定したものであり、ロンドン大学東洋アフリカ学科名誉教授のアンソニー・アラン氏がはじめて紹介した概念です。
例えば、1kgのトウモロコシを生産するには、灌漑用水として1,800リットルの水が必要です。また、牛はこうした穀物を大量に消費しながら育つため、牛肉1kgを生産するには、その約20,000倍もの水が必要です。つまり、日本は海外から食料を輸入することによって、その生産に必要な分だけ自国の水を使わないで済んでいるのです。言い換えれば、食料の輸入は、形を変えて水を輸入していることと考えることができます。

https://www.env.go.jp/water/virtual_water/)環境省より

 

わかりますでしょうか。

 

簡単にいうと、牛を海外から輸入したら、その牛を育てるために必要な海外の水を使っていますよねっていうことです。

 

このバーチャルウォーターという概念を用いると、日本と水の関係が大きく違ったものになってきます。

 

時間がある方はこちらのサイトを参考にしてください。

bigissue-online.jp

 

このサイトによると、

 

米1kgに必要な水は約1900リットル

 

牛肉1㎏に必要な水はなんと・・・

 

1万5000リットル!!!

 

穀物を育てるのに大量の水を必要として、それを餌にして育つ牛はそれはもう大変な量の水を消費しているというわけです。

 

そして日本は食料自給率が低く、約40%(カロリーベース)

 

サイト上では、”肉食化”も相まって、水を大量に輸入しているとされています。

 

 

 

いかがでしょうか。水資源が豊富に見える日本は、このバーチャルウォーターという概念を使うと海外の水資源に頼っていることがわかるわけです。

 

お金で水を買っているとも言えますかね。

 

バーチャルウォーターも一つの考え方に過ぎませんが、面白い指標の一つでしょう。

 

 

 

 

 

水問題が深刻な社会問題の一つであることは疑いのない事実だと思います。

 

そして、解決が難しい問題の一つでもあります。(当たり前か)

 

今のクライアントでは水の浄化をする装置があるのですが、それは逆浸透膜(RO)の技術を使っています。

 

これって、海水を淡水にできたりもして、まさに上の問題を解決に導きそうな画期的な技術でもあります。

 

ただ問題はやっぱりそんな単純じゃなくて、この逆浸透膜による水の浄化も限界があります。

 

まず、ものすごく電気を食うんですよね。

 

インフラがなかなか整備されない途上国では難しいというのもあります。

 

それだけでなく、未だに電力は多くの部分を化石燃料に頼らざるを得ないわけで、それが温暖化や酸性雨を招いて水資源をダメにしてしまうわけです。

 

せっかく綺麗な水を作ったのに、そのせいで違う場所で水が汚染され、手元に処分に困る大量な塩ができると。

 

やはり解決は難しく、水を節約するのが一番の手のように思います。

 

 

 

 

だらだらと書きましたが、今日のテーマは菜食主義と日本と水でした。(忘れてた

 

全体通してどういうことかというと、

 

日本は食料自給率が低くさらに、ベジタリアンどころかみんなお肉が大好き。

 

みんなが好きな牛丼もハンバーガーも大量の水(海外の)を必要とする。

 

日本は実は大量の水消費国!?!?

 

水問題は解決が困難な社会的課題!

 

 

こんなところでしょうか。

 

普段口にするおいしいお肉も、実は社会問題に関わっていて、それはこの一つの地球で生きる以上切っても切り離せない関係なわけです。

 

だから、ベジタリアンになろう!ということではありませんが、少し頭の片隅に入れておいてもいいのかなと思って書いてみました。

 



ふぅー、



焼き肉が食べたい。

 

三浦

 

 

 

SHOTENGAI in INDIA~インドのお買い物事情~①

 

こんばんは!

武本です。

 

年末いかがお過ごしでしょうか?

 

今年のクリスマスは激辛ビリヤニとキングフィッシャー(ビール)、そして日印の友人に囲まれて、かけがえのない時間を過ごすことができました。

 

中村が先の記事でも触れましたが、Chicken大好きなサンタクロースがいるように、ここインドにもクリスマスをお祝いする習慣はあります。

現在滞在しているホテルにも、インターン先のインド企業のオフィスにもクリスマスツリーがありまして、オフィスではクリスマスプレゼントに甘すぎるケーキと激辛ポテトチップス、マンゴージュースを頂きました。

 

さてさて今日はインドのお買い物事情ということで、記事を書いていきたいと思うのですが・・・

 

 

素敵な雑貨屋さんや、すこしこなれたファッショナブルな民族衣装を売るお店、クオリティの高い紅茶をお得にに購入できる紅茶屋 

 

 

・・・なんて所は自分の住んでいる地域には皆無です、残念ながら。

 

デリーやコルカタ、ムンバイやバンガロールといった大都市にはもちろんあるんですが、ここはハイデラバード。ましてや旧市街には、そんな類の店は存在しません。

 

 

旧市街随一のオフィス街、ここコティにあるのはそう、

 

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あふれんばかりのスポーツ用品店です。

 

ここは自分の通勤路でして、誰が買うねんと心の中で思いながら毎日通勤しております。

 

店内の様子はこんな感じ。

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この通りにはハイデラバード中のスポーツ用品店が集まったのではないかというほど、たくさんの店が並んでいます。

 

HINDUSTAN SPORTS

PREMIER SPORTS

SPORTS WHOLESELLER 

NICE SPORTS などなど

きりがないのでこのあたりで終わりにしておきます。

 

インドではこのように、同じジャンルの商品を扱う店が集中していることがあります。

メガネ屋通り、薬屋通り、バイク屋通り、そしてスポーツ通り

 

購入する側のメリットとしては、

豊富な品揃え・値引き交渉のしやすさ、などがありますが、

販売する側のメリットは

店が集まることによる集客力 くらいしか考えられない気がします。

 

ここで疑問になるのが、なぜ同じ商品を扱う店があつまるのか・・・。

競争相手が多いほど、ビジネスを行うのは難しくなる、と単純に感じてしまいます。

 

記事にしてみたものの実は未だに答えは見つかっておりません、すみません。

 

ただ、自分にとっては同じに見えるこうした店が、じつは案外異なっているのではないかというのが一つの答えです。

 

次回金曜位の後編ではこのあたりを、日本の商店街の歴史とも比較しながら、考えてみたいと思います!

 

武本

 

 

 

 

新たな学びと新たな弟子の獲得。

はい、中村です。

昨日、またしてもブログを書けずに申し訳ございません。

業務に追われて、気づきのアンテナを張れずにいました。

 

最近は、よくハウスキーパーのインドママと話すのですが、

この前、日本では聞かないようなことを聞けたので共有しますね。

 

昔、KFCのチキンをクリスマスに日本人はよく食べるなんてことを言ったら、

カナダ人の友達に笑われたことはあるけど、

 

ここインドではですね、もっと驚かせてくれることがありました。

 

なんとKFCのチキンが健康食として認識されていたんです 笑

 

ママ:「KFC chicken tasty and healthy」

僕:「deep fried chicken, no healthy na?」 

ママ:「Dry dry, no oil」

チョタひろ(ママの子供):「KFC chicken??」

 

*チョタひろはとは:

ハウスキーパーの子供に最近ついたあだ名。本名はVeerだが、僕の名前の「たけひろ」の「ひろ」にちなんで、チョタひろ(小さいひろ)と呼ばれ始めている。彼は、チキンというワードにやたらと敏感。下写真は、チョタひろクリスマスモード。

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話を戻すけど、確かに、インド料理の油はすんごい時は本当にすごい。

この前、食った魚のカレーなんて、ラー油みたいな油が3cmくらいあって。

これは、まいったなーなんて思っていたところでした。

 

おそらくですよ、インド人の感覚だと、

「液体」もしくは、「サモサのような揚げ物」とのリンクはあるのですが、

 

西洋から入ってきてるような、フライドチキンとかフライドポテトに対しては

揚げ物という概念がもしかしたら強くないのかも。

確かに、フライドチキンはサクサクしていて、一般的なインド料理でみる油とは違いますもんね。

 

インド人の食に関する考えも非常に興味深いところですよね。

武本とも話したのですが、インド料理って、決して栄養バランスが整っているわけではないな~と。(でもそれを認識してない以上は改善なんて起き得ないですよね。)

 

あくまで、日本人の我々の視点なので、インド料理がどれだけ栄養バランスに偏りがあるのかは分からないけど、インド人のおじさんを見ると、たいていの場合、腹デブかガリガリに区分できることを考えると、問題があるのかもしれませんね。

 

この辺は何かいい論文を探したいのと、食に対する考えみたいなところは、引き続き現地での交流を通して理解していこうかと。

 

 

そして今回は、前回あまり深掘りできなかった点について、引き続き書きたいと思います。

前回何を書こうとしたのかを簡単に述べますと、インドの所得分配とか、貧困層を一括りにされて見えてこない部分をもっと数値としてみたいなということでした。

それで、今回はいいものが見つかったので。

 

まずは、これ。

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(上図:$1.90/日以下で暮らす人々の数と割合)

 

インド全体として貧困層の数が減ってきていると言われるように、

図でも数・割合ともに減ってはいますね。

ただ、2011年時点で、21%ほどの人口が1日1.9米ドル以下で生活してるのも事実。

このカテゴリーに属する人々を数にすると、2.68億人。
(日本の人口が、1.27億人くらいなので、日本の人口の倍以上という事実。)

 

でも、「インドって、生活するの安いでしょ」と思う人もいるかもしれませんが、

(もちろん安いですが、)決して1日1.9米ドルはさすがに大変。

食べ物・他生活必需品を払ったら、もう足りないのではないかと思います。

(払えもしないから路上で暮らしたり、物乞いをしてるだと思いますが。)

 

次は、もうちょっと括りを大きくして。

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(上図:$3.10/日で暮らす人々の数と割合)

 

こうすると、58%までに及んでしまうんです。数にすると、7.31億人。

なので、$1.9~$3.1の間に37%の人口がいたということになりますね。

 

ここまで書いてきてなんだけど、そもそも、この貧困ラインというもの自体、定義に様々な議論があるのは確かで。

例えば、1日1.9米ドルで暮らしている人が21%いるってという情報を得て終わるのと、(それに+1.2米ドルした)1日3.1米ドルにすると、人口の過半数以上がその括りに含まれてしまうことを認識するのでは全然違いますよね。

 

このプラス分(だいたい100ルピー)がどれだけの違いを生むかは定かではないけど、

貧困問題を考える時に大切なのは、貧困ライン以下なのかどうなのかということより、

機会を生かしきれない生活を強いられている人々が一定数いるという事実の認識なのかなとインターンをしていてものすごく思うんです。

 

別に貧困ライン以下の人が2億なのか2.68億かって、そこまで重要視するべきことではないのかと。逆に、1.5億人だったら、貧困について考えなくていいのか。

そいうわけでは決してないですよね。

 

繰り返すけど、貧困ラインというもの自体作られたものであって、現実世界をそんなふうに綺麗に区切ることなんてまずできないと思うんです。物乞いをしたり、路上やスラムで暮らしている人が、このラインを跨いで存在していることは間違いないだろうから。

 

例えば、僕がケニアで訪問したNGOのオフィスのケニア人女性の何人かはスラムに暮らしていた。給料をもらえているから、スラムを出ることだってできるはずなのに、スラムに残るという選択をしているんですよね。

 

なぜかと言うと、自分の世代の生活がどうであっても、子供たちがより良い人生を送って欲しい。だからこそ、スラムに住むことで浮いたお金を教育に使いたいってことなんですって。こうしてみると、問題の根源は、またどこか別なところにありますよね。

 

確かに、世界銀行が決めたある基準を用いて、世界の国々の貧困ライン以下に属する人口の割合を比べられるようになると多分野で役に立つことがあるのだろうけど、その情報から何かを判断する我々は、数を尊重しながらも、数に固執しないようにしないといけないなと改めて思ったところでした。

 

では皆さん。メリークリスマス。

(クリスマスはチョタひろ一家とパーティーします。)

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中村