ベジタリアン②
今年は紅白もガキ使も見れない三浦です。
さて、今年も残すところ後10日ですね。
何の感情もなくクリスマスを迎え、そのまま年越しへ加速していきます。
恋人がいなくて周りが気になるそこのあなた!インドへお越しください。
それでは!前回の続き行きます!
前回の記事を見ていない方はぜひこちらから。
そういえば、前回途中でブログを終わるフェイントを掛けましたが、そこで読み終わってしまった人はいないでしょうか。なんのことかわからなかったらもう一度どうぞ↑↑
4回に渡るベジタリアンの記事の二回目!
それぞれの回テーマはこちら
①菜食主義とは
②インドの宗教と菜食主義
③菜食主義と日本と水
④菜食主義と私、これからの世界と食
それでは今日のテーマに!
ベジタリアン②
~インドの宗教と菜食主義~
前回の記事でインドが堂々のベジタリアン王国であることがわかりました。
それを踏まえて今日は、インドの宗教と菜食主義者について綴っていきます!
ここでいきなり問題!!(でーでん!)
インドで最も信仰者が多い宗教は何でしょう??
正解は・・・・
でれでれでれでれでれ←効果音
でん!!
ヒンドゥー教でした!
これはご存知の方が多いことと思います。インドと言えばカレー、ヨガ、ヒンドゥー。
そんな感じですね。
ちなみに二番目は??
イスラム教です!
二位のイスラム教ですら、インドネシアに続き世界で二番目にイスラム教徒が多い国だというので、インドの人口が飛びぬけていることを実感しますね。
ちなみにキリスト教徒も3%ほどいて、前一緒に暮らしていたルームメイトの半分は4分の2がそうでした!すごい確率!
はい、続いて第二問!
ヒンドゥー教徒の割合はどれだけでしょう??
これはちょっと難しいですね。
半分くらいでしょうか? ちょっと多くて6割ほど?
それでは正解の発表です。
ででででででででで←超かっこいいドラムロール
でん!!
ななななんと
8割でした!!
みなさんの正解できましたでしょうか。
私は、ルームメイトの影響もあってもっと少ないかと感じていましたが、振り返って出会った人のことを考えると、まぁ8割で妥当だろうという感じ。
インドで人にぶつかったらたぶんヒンドゥー教徒です。
さて、そのインドが世界で最もベジタリアンが多い国というのはどうも関係がありそうですのでそこについて書いていきたいと思います!
まず私の周りのことからお話しすると、実はあんまりベジタリアンの人がいない!
私の会社には20代の社員が4人いますが、彼らはみなノンベジタリアンです。
今のクライアントの仲のいい人と食事に行った時も、一緒に鶏肉を頂きました。
みな聞いてみるとヒンドゥー教なのですが、遠慮もなく食べます。
それもそうかも知れません。前回の記事ではベジタリアンが人口の4割であると書きました。
それに対してヒンドゥー教徒は先述の通り8割。
他の宗教にベジタリアンがいないとすると、ヒンドゥー教徒でもベジタリアンは半分なわけですね。
ただし、遠慮なくというと少し語弊があるかも知れません。
ルームメイトだった一人は、旅行で有名な寺院に行ったあと3週間肉と卵を食べませんでした。
また仲のいい同僚は、親から肉ばかり食べてはいけないという教えを受けていると行っていました。
ちょっと日本人の感覚と違うものを持っているかもしれません。
Facebookで友だちになっている女性の社員は、いつも動物愛護に関わる動画や、いかに家畜が酷い扱いを受けているかといった動画をシェアしています。
結果、日本にいるときにはあまり見なかった、若しくは見て見ぬふりをしてきたものを、毎日のように見るようになったのもこのテーマを書くきっかけになりました。
私が親しい彼らはベジタリアンではありませんが、共通することがあります。
それは豚や牛を食べるところを見たことがないということです。
というより、レストランに言っても豚や牛の肉を食べることができません。
世界中どこにでもあるマクドナルドに行ってみても、インドでは鶏肉を使用したものか、ベジタリアン用のものしか見つけられません。
インドに来て以降、牛肉を食べたのは一度、日本人経営の日本食料理店だけ。これはもう頬の筋肉がつりそうなくらいにやにやしましたが。
そう、ノンベジを用意するレストランに行っても、乳製品、卵、魚、鳥、羊しか食べられません。そういえば日本のインド料理屋でもマトン(羊)カレーがありますよね。
なぜ牛や豚は食べられないのでしょうか? そこに今日のテーマのヒントがありそうですね。
牛に関しては、ヒンドゥー教がものすごく関係しています。
私の会社の社長は、76歳ともう高齢ですが、もう溢れんばかりの知識と教養を持ち合わせた非常に魅力的な人です。
その彼が、インターンシップの一環として宗教に関するレクチャーをしてくれることがあるのですが、その中に答えがありました。
ヒンドゥー教では、日本の八百万の神様のように、沢山神様がいていちいち名前覚えてられないよ!っとなりますが、誰でも知っている三大神!が存在します。
それが、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの三体。
それぞれ、創造、維持、破壊を司る神です。
まさしくGOD(創造:Generate, 維持:Operate, 破壊:Destroy)
中でもシヴァは最高神とも崇められるすごい神様。
その彼が乗るのが、 そう、牛なんですね。
牛はシヴァの乗り物として神聖な動物。そのため彼らは一切口にしません。
また、おそらくカーストの上位で厳密なベジタリアンだと思われる私の社長は肉や卵は食べませんが、乳製品は口にします。
彼は牛を第二の母と呼びました。
人間は生まれてすぐ、母乳によって育てられます。その後、穀物や野菜と、牛乳によって成長が支えられると、彼は言います。
つまり、最初に育ててくれるのは母とその母乳で、その次は牛乳も大事な栄養素となると。その意味で第二の母であるというわけです。
さて、牛肉を食べない理由がわかったところでもう一つが豚肉です。
これはヒンドゥー教としての理由はなさそうですが、先ほど登場したイスラム教で大きく関わりますね。
ハラルマークなんかで知られるように、イスラム教では豚肉や、そのエキスを取ることが禁止されています。(ハラルマークは豚肉・エキスの入っていないものに表示される)
インドではイスラム教徒が1割を越え、待ちでぶつかった人がもしかするとイスラム教徒かも知れないといった感じです。
その彼らと文化圏を共にするうちに、ヒンドゥー教徒も豚肉を食べなくなったという所ではないでしょうか。
この二つの宗教が国の9割以上を占めるわけで、それぞれ牛肉、豚肉を食べない、ということになれば、ここまでに見たインドの食文化は当然の帰結と言えそうです。
さて、ネットを調べるともっと詳しい宗教的な理由が出てきそうですが、発信する立場としては、自分の経験から提供できることとしてこの辺にしたいと思います。
特に4割がベジタリアンという前ブログの数字と私の経験が離れているのでもう少しばかり深掘りしたいところですが、気付いたらもう3000文字!
なのであとは他のサイトにお任せしまして、興味のある方はどうぞ調べてみてください。
次回はちょっと違った観点から、ベジタリアンに突っ込みますよ!
それではお楽しみに。
三浦
インドがインドであるために
Sanchai hunuhunchha?
武本です。
さて、先日のバラナシ旅行中はインド人の方だけでなく、たくさんの日本人の方にもお会いしました。
ゲストハウスでは、世界中を飛び回るトラベラーの方々ともお会いでき、とても刺激的な時間を過ごすことができました。
自分も去年の留学中にはインド国内を主に、いろいろなところへ旅行に行きました。
今日は少し回想もまじえて、
「インドがインドであるために」
というちょっと、いやいや、かなりでかすぎる、テーマで記事を書いていきたいと思ってます。
去年の留学中にインド国内だいたい20か所ほどを旅行した中で、印象に残っているのはもちろん、バラナ、ではなく・・・そう、
ダージリン
そして
シッキム
です。
ネパール・ブータンに接するこれらの地域は、インドの中でも特に異色を放つ地域だと言えるでしょう。
これらの地域には古くからレプチャ人、ブティア人とよばれる人々と、ネパールからやってきた移民の人々が暮らしていました。このあたりに興味のある方、詳しくはウィキペディアをご覧ください。
さて、想像してみてください。
何も言われず、どこかも教えられずにシッキムに連れてこられたとしましょう。
見渡す限り広がる山々、はっとするような冷たく澄んだ空気、どこかなつかしさを感じさせる街並み
僕の予想では、そこがインドだと当てられる人はほとんどいないと思うんです。
なんとシッキムが、もちろん場所によってはですが、40年~50年前の日本と似ていると感じる方もいるようです。
地域の言語はもちろんヒンディー語ではありませんし、食文化、コミュニケーションの仕方なども、一般的にイメージされるインドのものとは大きく異なっていると言えます。(この地域ではモモという餃子のようなものや、トゥクパというラーメンのようなものなどが良く食べられます。現地のご家庭にお邪魔した時は肉じゃがのような煮込み料理をふるまっていただきました。)
さて、この地域がインドに編入された(表現が正しいのかわかりませんが)のは1947年、インドが独立したのと同時期です。それまではインドと同様イギリスの支配下に置かれていました。
イギリスによって支配される前は別の国として存在していたこうした様々な国が、独立していく過程で「インド」という結びつきのもと、一つの国になっていったと言えます。
歴史は変えられませんし、ポジティブな考え方もあればネガティブな考え方もあるでしょう。ここではその是非を問うことはしないでおこうと思います。
自分が感じるのは、
インドがインドであるために
人と人が、困難に直面しながらも、多様性の中で生きている
ということでしょうか。
これはむしろ生きざるを得ないという言い方もできるかもしれません。
しかし、日本で生まれ、日本人に囲まれて育った自分にとってはそれがすごく新鮮で、多様性・異なる文化へ順応する力の高さや、コミュニケーションへの貪欲さをインドの人々から学ばせてもらっていると思っています。
現在いる南インドもまたそういった意味で学びを得ることができそうです。
以上、回想編となってしまいましたが、武本でした~。
インド。
中村です。
ついこのあいだの話。
社員とリキシャについて話をしたんです。
インドに来たことがある人は、わかると思うけど、
インドのリキシャには、サイクルリキシャとオートリクシャの二種類があって。
前者は自転車、後者はバイク型とでもいいましょうか。
写真で見た方が早いのであげときます。
(Google画像検索)
日本でリキシャと聞くと、思い浮かべるのがこれですよね。
(Google画像検索)
ここインドにおいても、いわゆる日本の力車のようなものは存在していたんだって。
特にコルカタではそれが結構長いこと続いていたらしい。
でも、人権の観点から良くないってことになって、政府が無料でサイクルリキシャを運転手に配布した歴史があるみたいなんです。
なんか不思議ですよね。
日本では観光の一つとして楽しまれているのに、
インドでは人権侵害なんて言われるんですもん。
今日はですね、「そうだろうな~」って思っていることを、「そうなんです」って言えるようにしようかと思いまして。
その一つ目として、『インドの所得事情』について書きたいと思うと同時に、(寝たいので、)導入だけ書きますね。
インドにはものすごい金持ちとものすごく貧しい人がいるってことは聞いていたし、
しかもデリーにいるとそういうシーンを見にすることもあるから、
そういうもんだと思っていたけど、
実際、それぞれがどれほどの割合なのかを調べたことはないなぁと思って。
だから、ちょっと探してみました。インド日本大使館によると、
こんな感じ。
割合で見ると思ったよりも少ないんですね。
(でも、インドに人口が多いことは忘れてはいけないですからね。笑)
でも、デリーとかグルガオンのような都市に金持ちが多い傾向を考えると、
肌感覚で、金持ちの割合が多く感じてしまうことは、しょうがないですね。
でもこの表、所得の区切りがあまりにも少なすぎる。
低所得者層って一括りけど、もっと細かい区切りで見ないと、
新たな知見を得られないなと。
でも、見つけられませんでした。(眠くて)
ってなことで、これは次回への宿題です。
ちなみに、州別で見ると、パンジャブとかケララがインドで最も裕福なんだけど、
宗教との関係性もいつか記事にしたいですね。
また、表を見るともう一つわかるのが、中間層の増加ですよね。
これがいわゆる、途上国市場に注目が集まっている理由の一つ。
でも、低所得者層が一体、どのようにして中間所得者層になるかって、気になりますよね。これについても、この先深掘りしていきたいと思います。
ではでは、皆さん、おやすみなさい。
中村
ベジタリアン①
前回の記事かちょうど一週間ぶりの三浦です。
家の前が工事によって突然冒険になりました。
どこに行くにも一苦労といった感じです。
さて、いつも前置きが長くなってしまうのでこの辺にして置きます。
ちょっといいテーマがあったので久しぶりにしっかり書いてみようと思います。
それは、ベジタリアンについて!!
少し力を入れて書いてみたいなと思ったので、なななんと!四回に分けて書いていこうと思います。(ネタがないので稼ぎにいきます)
これからの大まかなテーマは
①菜食主義者とは
②インドの宗教と菜食主義
③菜食主義と日本と水
④菜食主義と私、これからの世界と食
この四つに分けて書いていこうと思います。
というわけで早速今日のテーマに入っていきましょう!
ベジタリアン①
~菜食主義者とは~
今日の所はこれから扱うこのテーマについての概要と、書こうと思った動機を記しておこうと思います。
まず皆さんご存知のように、日本でベジタリアンの方ってほとんどいませんよね。少なくとも私は一人もあったことがありません。
急に何かに目覚めたかのようにベジタリアンに挑戦している人がいますが、長く続いている人を見たことがありません。
日本に馴染みの薄いベジタリアン。
それをテーマにしようと思ったのはインドでの気付きが大きかったからでしょう。
その前に、私が初めてベジタリアンの方にあったのは、約三年前。大学一年の春休みにマレーシアに海外初一人旅に行ったときでした。
最初に泊まったドミトリーが四人部屋で、マレーシア人、サウジアラビア人、フィンランド人と私日本人が宿泊していました。
翌日その四人で近くのレストランに行った際、そのフィンランド人の方が肉の入った料理を取らなかったので不思議に思って見ていました。
そう彼はベジタリアンだったのです。
もちろんベジタリアンの方が世界に多くいることは知っていました。しかし、初めて会った時には、どことなく不思議な感覚がしたのを覚えています。
なにがびっくりって彼がめちゃめちゃ筋肉隆々だったことですけれども。笑
そんな些細だけど不思議な出会いから約三年。ここインドにやってきました。
インドではベジタリアン用のレストランが多くあります。
また、どこのレストランに行っても、メニューの中でベジとノンベジ(肉、魚介を含む料理、Non-veg)が分けられているか、マークがついています。
(左赤色のマークがノンベジ、右緑色のマークがベジ)
ベジタリアン用レストランが多いことに加えて、安いこともあって最初の方はあまり肉を食べない生活を送っていました。
肉が食べたい!!と発狂しそうになりながらも、文化の違いを感じていました。
詳しいインドのベジタリアン文化は次回にするとして、今回は大まかな概要を追っていきたいと思います。
ますベジタリアンとはなんなのか!
多くの人は全く分からないということはないでしょうが、日本語で言うと「菜食主義者」です。
では、本当に野菜しか食べないのか?肉は全く食べれないの?乳製品は?卵は?
という疑問が出てくるのでまずはそこから。
この疑問に対する簡単な答えはこれ
ベジタリアンも人それぞれ。
はいー。 今日はこれが皆さんに伝わればOKです。
それでは、
三浦
おっとーーーーー!!こんな中途半端に終わってはいけませんね。
皆さんがブラウザを閉じずにここに到着してくれたことに感謝します。
さて、ベジタリアンも人それぞれということですが、どういうことか。
それは、ベジタリアンといっても下に書くように分類できるということです。
1)ビーガン(純粋菜食)
純粋と付くだけあって、菜食にこだわります。
また、動物製品を身に着けない人もいるようです。盲点でしたが、納得。
ベジタリアンと聞くと彼らを思い浮かべる人も多いかもしれません。
2)ラクト・ベジタリアン(乳菜食)
名前の通り、菜食に加え、乳製品を取ることができます。
私がインドで見るベジタリアンはこのパターンが多いように思います。
3)ラクト・オポ・ベジタリアン(乳卵菜食)
上に加えて卵を食べることができます。
私のベジタリアンのイメージはこれでした。
卵が食べれたらタンパク質取って生きていけそうというイメージ。
4)ペスコ・ベジタリアン
上に加え魚もOK
5)ポーヨー・ベジタリアン
1)~3)に加え鶏肉もOK
4)と5)に関してはどうなんでしょうね。笑 ベジタリアンと呼べるのでしょうか。
これらをベジタリアンと認めない見方もあるようです。
これらの情報は日本ベジタリアン協会さんのサイトを参考にさせていただきました。
どうでしょう。皆さんのベジタリアンのイメージはどこでしたか?そんな種類があるなんて常識だよ!って方もいたかもしれません。
もう少し違う分け方もあるようですが、この辺で。
ところでこう思った人はいないでしょうか。野菜は食べていいの?野菜も生き物だよ?って。
私はベジタリアンの文化に触れてこういう考えが浮かんでいました。小学生のときとかに、植物も生きているみたいなことを教わった気がして。
だから、そういった考えの人がいてもなーなんて考えていました。死んでしまいますが、笑
調べてみると「フルータリアン」なるものが存在するようです。
その名の通り、フルーツや木の実だけを食べる。どういうことかというと。
野菜、例えばキャベツや、ニンジンを食べるとそこで無くなってしまいますよね。ただ、木の実だけを食べていれば、その種を絶やさずに、共生できると。
私的には凄くしっくりくる考え方でした。
ベジタリアンについての分類が終わったところで、次はその人口についてみていきたいと思います。
ですが、ここで信頼性のある数字を見つけてくるのが難しいという問題に遭遇しました。
きっと上で示したように、ベジタリアンの定義や種類に色々あるからだと思います。
あくまで参考の数字ということでこちらのサイトを参考に数字を見ていきます。
このサイトによると、最もベジタリアンが多い国は
インド!!
来ましたねこれは。なんと42%もの人がベジタリアンのようです。
2番目がアメリカで14パーセント。
イギリス、イタリア、ドイツが10%ということです。
2番目のアメリカに3倍もの差をつけるインド。
これからベジタリアンに関する記事を書こうとする私には追い風といったところでしょうか。笑
さて、気になるのがなぜ彼らがベジタリアンなのか。
一番の理由は宗教ですよね。インドにおいてはそうですし、それがほとんどであると思っていました。
しかし、欧米のベジタリアンの方たちは地球市民の一員として、積極的にその選択を取っているということがわかりました。
ある者は動物愛護のため、ある者は地球の食糧問題を考え、ある者はオシャレの一環として。
というのが実態のようです。
そもそも私がこのテーマを書こうと思ったもう一つの狙いはこの地球市民という視点から。
それでは今日はこの辺で。
これからのブログでの深掘りを楽しみにしていただけたらと思います。
三浦
本当に終わりだよ!
OH BAAP RE!なインド
OH BAAP RE!
武本です。
(朝から銀行前のATMにならぶバラナシ住民と中村・武本、ユウさん写真ありがとうございます!)
中村と同様、自分もバラナシの魔力にやられてブログを書くのを一日忘れてしまっていました。
約半年ぶりのバラナシでしたが、相変わらずなところもあれば、変わっていて驚いたこともあり。
バラナシにはゴードウリヤー呼ばれる大きい交差点があるんですね。
バラナシのスクランブル交差点とも言われるこの交差点から、少し先に行くともう一つ交差点があるんです。
そこで衝撃的なものを見てしまいました、そう、
信号
です。
まさかあのバラナシ、しかも旧市街のすぐそばの交差点に信号ができようとは。
驚きのあまり完全に写真を撮るのを忘れてしまったのが心残りですが、バラナシに行ったことがない方のために参考画像を一つ。
今回は夜バラナシに着いたんですが、信号付近に警察官がいて、そのときは一応信号守ってました。
ただ、警察がいない昼には、ここぞとばかりに本領を発揮。
無意味に赤・青・点滅を繰り返す信号を見ていると、
「ああ、やっぱりここはバラナシやなぁ・・・」
と妙に感傷的な気分に。
なぜ、信号はあるのでしょう。
信号は交通をスムーズにするためや、事故を防ぐために作られます。
バラナシの、信号なぞ気にも留めずに愛車を走らすオートリキシャ・サイキルリキシャのバイヤーを見ていると、いろいろと考えさせられました。
ルールや仕組みを作るのももちろん大事なんですが、結局人の中にある考え方が変わらないと、結局誰かが新たな抜け道を見つけ出して、それに対応するためにまた新しい取り組みやルールが必要になる。スパイラルですね。
あ、そうそう、冒頭の写真はキャッシュ不足でバラナシのATMに並んでいたときに撮ってもらったものです。(この時期のバラナシは非常に寒くて、我慢できずにゲストハウスの毛布を巻いて街へ繰り出しました。)
朝9時頃から並び始めましたが、列はなかなか進まず。
30~40分ほどしてやっと近づいてきたと思ったら、なにやら一人の若者がキャッシュカードを片手に、我々の少し前に並んでいた友人と思しき別の若者に近づいていったんですね。そう、その友人にカードを渡して現金を引き出してもらおうという魂胆です。
はるばる二日間のためだけにバラナシに来たにも関わらず、ATMに並ばざるを得なくなった自分たちへのまさに冒涜ともいえるこの行為。
「HEY, HEY, バイヤー!! NO CHEATING naaaa?!」
と声を上げたのは、
最近インド人よりもインド人ではないかと話題になっている中村君。
きっと彼もこの不正には目をつむってはいられなかったのでしょう。
結局後から来たその若者はすでにカードを友人に渡していたので、列の後ろに並ぶふりをしただけでした。すっきりしませんでしたが、まあ無事にキャッシュは手に入ったのでまあ良しとしましょう。
ただ、不便をこうむっているのは彼らも自分たちも同じ。
インドのこの「NOTE BANDI」(紙幣無効化)が発表されてから一カ月以上が経過していますが、いまだにATMには長蛇の列です。
税金を正しく支払っているのが国民の5%ほどしかいないというインド。
ブラックマネー撲滅がこの政策の一つの大きな目的ですが、
結局のところ大量のブラックマネーを持つ権力者は、賄賂を使って銀行などにコネクションを作り、代わりに旧紙幣を新紙幣に変えている。という声も聞きます。
真偽を確認できないので何ともわかりませんが、銀行職員が多額の賄賂のために汚職を働くというのはあり得る話ではあると思います。
バラナシの信号機も、今回のブラックマネー撲滅のための「NOTE BANDI」も、本質的には同じではないでしょうか。
根本的な考え方が変わらない限り、こうした抜け道を見つける人は必ずいる。
そんなOH BAAP RE!なインドを理解する難しさを改めて噛みしめた、バラナシ旅行でした。
(OH BAAP RE!=Oh My God!のヒンディー語版)
武本
バラナシからのメッセージはまだ届かない
中村です。
すみません、バラナシの余韻に浸かっていたら、
ブログのことすっかり忘れておりました。今日書きますね。(バラナシ恐ろしや)
三浦が前回の投稿で「ウーバー」を勧めていますが、
正式には「ウーバル」ですからね。「ウーバル」。
インディアで「ウーバー」なんて言ったら、笑われますからね(嘘)
せっかく「ウーバル」の話をしたので、ちょっとしたエピソードを。
それは、バラナシから帰って来た空港から自宅までの「ウーバル」でのこと。
運転手はですね、22歳と若い兄ちゃんだったんですけど、よく話す人で。
彼の英語と僕のヒンディー語を駆使して会話したんです。
しょうもない話から、興味深い話まで、色々と話したのですが。
今回初めて、運転手専用の「ウーバル」アプリをみせてもらったんです。
そのアプリでは、売り上げが帯グラフで表示されるんですよ。
だから彼の売り上げが一目瞭然なんです。
そしたら、前日とその前の日の売り上げが0なんですよ。
彼が働かなかったのか、お客さんが来なかったのか分からないけど、
月の収入が大体20,000(およそ32,000円)ルピーって言ってましたね。
それでガソリンとか他のメンテナスを払っているから、
「収入少ないわ〜」なんて嘆いてました。
「それなのに、お酒はメヘンガー(高価)なんだよなぁ」なんてこぼしながら。
「ウーバル」の運転手も大変みたいですね。
そんな彼のお父さんは先生なんだって。
親が先生ならてっきり子供には、大学まで行かせるのが普通なのかななんて思ってしまっていたので、ちょっとびっくりしましたね。
色々と聞きたいことがあったけど、やっぱり言語的に限界でした。
ハウスキーパーに鍛えられた数少ないヒンディー語でインド人との距離を縮めることはできるのですが、やっぱり深い話をするにはヒンディー語が必要ですね。
今更だけど、頑張りますわ。ヒンディー語。
さてさて、今日はやっぱりバラナシの話をしますね。
インドに来た日本人がこぞって向かうバラナシ。
そこで人生観を変えたという人も少なくない。
実際に、2年前くらいだったろうか。
ある講演会で講師の方がバラナシで人生観を変えたという話をされた。
でも、やっぱりインドは、僕にとって非常に遠い存在であって、
まさか自分が行くとは思っていなかった。
そんな僕、先週末、とうとうバラナシに足を運ぶことになった。
バラナシに着くまでは、ものすごく不思議な感覚で、
何か別世界を見に行く思いがした。
なんかこう、僕の核となる部分に大きな影響を与える何かに出会えるんだろうなという期待があって。
でも、実際足を運んでみると、そうではなかった。
色々と考えさせることはあったけど、
それが心にジーンと来るものではなかったというのが正直なところ。
別に何か特定のものを求めていたわけではないけど、
バラナシで得るだろうと思っていた感覚とは違うものを得たのは確か。
それがプラスとかマイナスとかいう話ではなくて。
ただ、僕が予想していたものとは異なるものであったということ。
でも一つ、大切な気付きとしてあったのは、過去の自分の心と今の自分の心を揺れ動かすものは、経験によって常に更新させれているという事実に出会えたこと。これに関しては似たような記事を以前書いたので紹介。
現に、かつてものすごく衝撃を覚えた物乞いする子供たちの姿にも慣れてしまったし、何よりガンジス川の辺りの火葬場で火葬されている人も見ても、想像よりも衝撃を受けなかった。火葬されている最中の死体をこの目で確認できたのにも関わらず、何故かそれをごく自然と受け入れていた。
それどころが、火葬されている女性の背景が気になって仕方なかった。
彼女はどういう人だったのか。
どういう人生を送ったのか。
子供はいたのか。
もし子供がいるなら、子供たちはどうしてるのだろう。
なぜ、家族はバラナシで火葬したのか。
そもそもなぜ死んでしまったのか。
・・・
『死』というひどく重いトピックに対して、
ものすごく冷静な僕がいることに僕自身が驚いた。
それらは、バラナシの持つ雰囲気が故なのか、
それとも単純に僕の想像の世界が、現実をあまりにも凌駕していたのか。
おそらくどちらもあるだろうけど、目で見た非日常的な光景が、すっと自分に入ってきて、そしてどこにも引っかかることなくすっと出て行くことに僕はひどく不思議な感覚を得た。ちょっと自分が怖くもなったかな。
だから、僕がバラナシに行ったことの感想を聞かれても、
なんかこう言葉にできない。不思議だったとしか言えない。
もう少し時間が経つと色々と繋がってくのかな。
そもそもバラナシがね、外国の影響を受けながら、
バラナシ独自の雰囲気も出すような不思議な場所だから、
言葉にできないことが当たり前なのかもしれない。
またバラナシには足を運びたいですね。
その時の僕は、また違ったバラナシを見れるような気がするので。
そんなバラナシでの経験でしたが、
人の出会いに恵まれる非常に濃いものでしたよ。
インドマスター武本と同じくヒンディー語を学ぶマイノリティの彼
インドを旅する日本人・外国人
ラッシー屋のインド人(ラッシーめちゃうまい)
ゲストハウスのシェフとその奥さんとその子供
武本のバラナシの恩師
レストランで紙幣廃止に関してめちゃくちゃ議論したインド人とアメリカ人
チャイ屋のバイヤーたち
・・・
それぞれが持つ「ものの見方」を交換しあうことが、
なんて新鮮で面白いことなのかを改めて認識しましたね。
いい充電になりました。
ってなことで、バラナシであった皆さん。
ありがとうございました。
またどこかでお会いしましょうね。
中村
■
武本君の記事に続いて、ブログ初日からネタ切れの三浦です。
日本からこのブログを見てくださっている皆さん。寒いですね。
体調には気を付けてください。
暑いことで有名?なインド。こらに来る前は50℃を超える日もある!なんていう断片的な情報を持っていたものですから、ビビって半袖の服ばかり持ってきてしまいました。
が、幸か不幸か、そんなに暑くはありません。私がいるハイデラバードは日中割と暑いですが、夜は過ごしやすい、若しくは少々肌寒いといった感じです。
なんせ気温差がすごいものですから、
(日中)あっついなー→(ホテルにつく)もわっとしてるなー→(寝るとき)ちょうどいいーー
→→→(夜中目が覚める)さっむ!!!!
っという感じで月曜は体調を崩し、ブログをスキップしてしまいました。
これはもう体調管理が至らなかったこと以外に何も原因はありませんね。肌寒いのに半袖半パンで武本君と他一人の日本人の方と会ったときは笑われました。笑
話は変わって先週末から日曜にかけてムンバイに行ってきました!
金曜の夜、人生初の夜行列車に乗り、海外旅行っぽさを満喫しながら行ってきました。
安くいきたかったため、料金が中間くらいの3Aというクラスで、上段・中段・下段と選べるベッドの上段を選んで行きました。
駅についてすぐ迷子になったのですがその話は特に面白くないので飛ばして、列車に乗って、自分の場所を見つけたところから話します。
私のベットの番号は51番。51・52・53の番号が振られたスペースに到着。ベッドが縦に二つしかありません。
おや、早速困難に直面しました。
上のベッドはどうやら私のベッドらしく、疑問に思いながら自分のところへ。上がろうと思ったのですが、、 どうやって上がるのかわからず。笑
結局10分後くらいに他の人が上るのをみて、ようやく決意します。笑
質的にはソファのような感じで、下のベッドには二人の人が座って、背もたれもありました。
んん、彼らはどうするのだろう。そう思いながら、起き上がると頭をぶつけてしまう距離40センチの天井を見ながら、疲れていたため眠りについてしまいました。
夜中目を覚ますとびっくり仰天、二つのベッドの間にもう一つベッドがあるではありませんか。寝ぼけていたこともあり、突然現れたベッドに恐怖心で震えながらまた眠りにつきました。
翌朝、起きるとすでにベッドはなくなっていました。怪奇現象。
仕組みが判明しました。というか冷静に見たら簡単にわかったのですが、下のベッドの横の壁に設置されたマット。彼は背もたれではなく中段のベッドでした。
なんてことない話でした。
ムンバイについて最初の感想は「あっっっっつっ!!!!」でした。笑
これはもう、10分で熱中症。
列車を降りた瞬間にタクシー運転手がめちゃめちゃ声掛けて来ます。
彼らの共通するセリフはこう、
「ガバメント! ガバメント!!」
みんなガバメント公認のタクシー運転手のようです。信頼できますね。
そんな懸命な彼に必殺の笑顔で対応しつつウーバー(タクシー配車アプリ)を予約します。(笑顔で対応するもんだから彼らは一層元気になってついてきます笑)
(日本からブログを見ていただいてる方で、海外旅行を考えている方はタクシーはウーバーを使うのが便利です。調べてみてください。)
ムンバイはインドの西側に位置していて、商業都市・金融都市として有名です。観光地としても有名です。
普段住んでいるところとは打って変わって高いビルが立ち並び、都会に来たなーという感じでした。
ムンバイでは、特に予定も決めず現地の駅で日本人の友人と待ち合わせていました。
インドに慣れ切った彼は、見事に4時間の遅刻で到着しました。愉快愉快。
もう夕方でしたが、インド門に行こう!!と意気揚々と二人でタクシーに乗り込みムンバイ観光スタート!
・・・のはずでした。
運転手に連れられ、着いた先は港。
その友人と私は、絶対に間違っていることに気付いていました。が、ノリでタクシーを降りてしまう辺り、二人の性格の適当さがでてしまいました。
彼と二人で、もしかしたらこの港から面白い観光地に行けるのではないかと話しながら歩いていました。そして20分後、次のウーバーを読んで晩ご飯のためのレストランへ移動しました。
綺麗な夕日と、ムンバイのスカイスクレーパー(高層ビル、TOEIC頻出単語)を見れただけで満足です。
改めてみると綺麗ですね。
夕飯は武本くんに紹介されたレオポルドカフェで、Tempuraを頂きました。
残念ながら写真をなくしてしまいましたが、日本の天ぷらにほど近く、久しぶりに魚料理を食べたこともあり非常に美味しかったです!
調子に乗って頼みすぎてしまいましたが、非常に満足! 武本くんありがとう!!
さて、翌日は日曜日。天気も良く旅行日和!!
ですが、旅行はしませんでした。
なぜなら、、、 TOEICを受けていたから!笑
ムンバイまで500キロ以上離れています。そこまで遥々TOEIC。
そもそもこのムンバイ旅行が、友達とこの試験の話から、久しぶりに会えるし、旅行もできるじゃん!ということで始まりました。どっちが目的かは微妙なところです。笑
上でスカイスクレーパーというTOEIC頻出単語を紹介したのも、そんな成り行きです。
さて、そんなTOEICでまさかの「気づき」。笑
日本でもTOEICは受けていますが、インドで違ったことがいくつか。
それは、
1)何も持ち込めない(筆記具、時計も含め)
2)試験官が適当
一つ目はフィリピン留学の時もそうでした。カンニング予防でしょうか。
一つその時と違うのは、部屋に時計がなかったこと。笑
TOEICって受けたことあるかたはわかると思いますが、時間との勝負みたいなところがあります。
そこに時計がないという大問題で、時間配分どころの騒ぎではありませんでした。笑
そして二つ目。こっちが気づきの方ですね。試験官。インド感バリバリ出してきました。
試験中消しゴム貸してくださいって言おうと彼女を見たら、スマホを凝視していました。試験そっちのけです。
お、おう。
試験中なので小声で、「ぇくすきゅーずみー」って、
気を遣わせるな!!笑
ムンバイ旅行でも一番驚いたのはやっぱり、働くことに対する文化の違いでしたね。笑
さて、点数が奮わなかったので来月にも旅行がてらチャレンジしようかと思います。
次の試験場リポートをお楽しみに。
三浦