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僕が知らなかった世界に、僕の生きる道があったのかもしれない。

中村です。

 

デリーもだんだん寒くなってきました。

特に朝晩は冷え込む時がありますね。

日本食も恋しいけど、温泉にいきたいです。切実に。

お湯でジャーーーってでるシャワーも恋しい。

 

 

 

それとですね、去年留学していたマンチェスターにラーメン屋ができたみたいなんです。

早速、友達が行ったみたいです。メッセージくれました。

何のラーメンを食べたかと聞くと、Dracula Tonkotsuって。

 

一瞬、Draculaがなんか特別な具材かと思ったけど、

いやまてよ、ド・ラ・キュ・ラ??

完全にあのドラキュラですよね。笑

 

インドでヨーグルトは基本何につけても美味いことを発見したけど(何でもヨーグルトに突っ込むからインドマスターこと武本に「え?」って純粋にひかれた)、

ラーメンとドラキュラのコラボはさすがに聞いたことがなかったですね~。

 

味は、豚骨ベースにニンニクが効いているラーメンだそうで。

 

マンチェスターも近い将来、「二郎系行こうぜ~」ってノリで、「ドラキュラ行こうぜ~」ってなるんだろうなぁ笑

 

 

そんな遠い話はさておき、ブログメンバーの2人がいい記事を書いてくれてますね。

 

武本のインド愛に溢れる記事(彼の愛はインドの隅々までに及んでいる)、三浦のライフインインディアの記事。

 

彼の紹介したドーサは確かに美味しいです。南インドの料理なので、こっちでは屋台で見ることはあまりないけど、デリーでも簡単に食べられます。是非是非食べてくださいな!!

 

 

そんな彼らに続いて、僕も何かいい記事を書きたいなと思っていたのですが、ちょっと書くことが見つからない・・・。

というのも、終わさないといけないことが多くて、それに集中するあまりアンテナを張りきれてなかったなと反省中。

 

 

 

そんな中、今日僕が書きたいこと、それは「国際開発はエゴなのかどうか」について。

トピックが網羅する分野も範囲も広すぎるから、もちろん、今回の記事だけでまとめられる訳ではないし、強いて言えば、そもそも自分の中でこの問いに対して明確な答えを出せているかについては、かなり微妙なところである。だから、このトピックに関する投稿は今後不定期で発生するかと思います。

 

今日はそのさわりの部分だけ。完全に自分の中での変化の話。

 

そもそも自分が国際開発と呼ばれるような分野(なんかこうタイトルづけることにちょっと違和感がある)に興味を持ったのは、大学1年の頃にフィリピンに行ったことがきっかけであった。

 

当時の自分は、貧困というワードに全くと言っていいほど関心を抱いておらず、メディアを通して見る貧困の現状に、同情することはあっても、何か別世界で起きている問題だろう、そんな風に貧困を捉えていたのかもしれない。

 

フィリピンでその日を迎えるまでは。

 

その日は突然やってきた。その日、僕は、帰国前最後の一週間を使って、先生や友達とBBQレストランに食事をしに行った。

そこで、僕たちは、美味しいものをたらふく食べ、お酒を飲み、どの先生が一番綺麗か、どの生徒が一番イケメンか、韓国人女性と付き合いたいか、帰国前に誰かに告白しないんか・・・なんてたわいもない話をしながら楽しんでいた。

 

お腹も心も満たされた我々は、デザートにとハロハロを食べに少し小さめのショッピングモールに向かった。

ハロハロがフィリピンで有名なことは知っている人が多いと思うし、普通に美味しいのはわかる。

 

現に、ハロハロの色とは相反して、満腹であった僕も甘いものを食べてすごく幸せな気分になった。

 

朝から夕方までみっちり勉強して、夕方から先生と友達と美味しいご飯を食べ、終いには甘いものまで食べる。

本当に満たされた気分であった。

 

でも、そんな気分はある出来事をきっかけにはるか遠くに消え去ることになる。

 

すごく仲良くしてくれた韓国人の子と集団の一番後ろを歩いていた僕は、歩道橋の階段を下る際、彼女に先に譲り、集団の最後尾として階段を下り始めた。そうすると、そこに1人の少女の姿が目に入った。

 

汚れてはいるが、ピンク色のワンピースを着た8歳ぐらいの少女。

髪の毛はボサボサで、手足は細い。靴を履いていたかどうか、そんなことを確認することはできなかった。

ただ、彼女の手に紙コップがあること、それははっきりと見えた。

 

そして、少女は前を行く僕の韓国人の友人に紙コップを向け「money・・・」と言う。

友人はsorry sorryとその場をやりきる。

 

彼女からお金をもらうことを諦めた少女。

もちろん次なるターゲットは僕

少女との距離はまだ少しあったが、僕は形容しがたい恐怖心に襲われた。

 

少女がお金を求めてきたとしても、それをフィジカル的に回避することはひどく簡単なことである。

ましては、少しばかりのお金を渡し、少女の要求に答えることだって僕にはできる。

 

対処方法があまたあり、何も心配するような状況では決してないが、僕はひどく怯えていた。なぜか分からないけど、歩く足を止めたい、そんな思いでいっぱいだった。

 

そんな僕が少女のそばにまでいたると、案の定、お金を求められる。

遠くからは霞んで見えたピンク色のワンピースも、ピンク色であったということ改めて認識する。

 

怯える僕とお金も求める少女。

 

そんな構図に身を置く僕が、遠くからでは気付かなかった事実に気付いてしまった時、恐怖心は絶望へと変わった

 

それは少女が僕を見る瞳であった。

ものすごく真っ直ぐで、透き通っている。

言葉にはない、ものすごいパワーを持っていた。

 

そして、その少女の傍に、幼児を抱きかかえた母親の姿があった。

少女の物乞いは、自身のためであり、母親のためであり、そして母親に抱えられた幼児のためのものであった。

これは僕の勝手な想像かもしれない。でも僕には、そこに貧困の連鎖が生じていることが見えた。

 

母親から少女へ、そして腕の中の幼児へ。

 

もちろん彼女らが、本当に貧しくて物乞いをしているのか、それとも小銭稼ぎ程度でしているのか。

少女が学校に行けているのか、いないのか。

少女がご飯を食べられているのか、いなのか。

毎日物乞いをしているのか、いないのか。

 

僕には分からない。

もしかすると、この目で見たものから勝手にストーリーを作っていたのかもしれない。

 

でも、ただ一つ確信も持っていえること、それは少女の瞳が僕に訴えかけるものがあったということ。

 

そして、それに向かってsorryと言葉を投げ、何事もなかったかのように通りすぎることは僕にはできなかった。 

少女を前に、立ち止まる僕。
手に持った紙カップを精一杯、僕に見せる少女。

 

僕が別世界だと思っていた世界が、今まさに僕の目の前にあった。

 

 

そんな僕に気付いた先生は、hey come hereと呼びかけてくる。

それに反射的に反応した僕は、

 

少女にsorryの言葉もお金も与えることなくその場を立ち去った。

 

 

集団に戻ってから、また韓国人との会話を始めたが、何を言われても耳に入ってこない。入ってきても、そのまま脳みそを介さずに出て行く。

 

僕の頭は、その少女のことでいっぱいで、

少女がどういった生活をしているのか。

どこに家があるのか。

家族は他にいるのか。

友達はどうなのか。

夢はなんのか。

・・・

 

尽きることのない自問とその答えを得られないことに、僕はひどく悲しくなった。

自問が重なる度に、いかに自分が無知であったかを思い知らされた。

無知であることを思い知ると、いかに自分が恵まれた環境にいるかということを思い知った。

それを思い知ると、僕の生き方が恥ずかしくなった。

そして、心に穴があいた。

 

 

という風な、エピソードがあって、

それをベースにその後の僕の人生を設計してきたけど、

インドに来て僕の中の大きな問いが浮かんだ。

 

それは、『物乞いを見慣れてしまった僕はこれからどこに向かうのか。』ということ。

 

フィリピンで受けた衝撃から早2年半。

僕は、貧困を見ることに慣れてしまった。

もちろん自分が見ている貧困というものは、その言葉が意味するもののほんの一部にしか過ぎない。

その上、そもそも自分が何を基準にある人を貧困層に、ある人はそうじゃないと判断しているかはかなりアバウトであるし、ひどく主観的でもある。

 

でも、物乞いを見ても昔ほど心を痛めなくなったという事実が僕の中にある

これは事実である。

 

それが良いとか悪いとかいう話じゃないし、今の僕がそういった現状に関心をはらわなくなった訳では決してない。

 

でも、僕は確実に変わった。

 

そしてもう一つ大切なことがある。

 

それは僕の中の変化があってこそ見えてきた世界がたくさんあるということ。

 

これまで点でしか捉えることのなかったことを、線として繋げることができて、そして、今までモヤモヤしていたことも一つずつすっきりさせることができている。

 

まだまだやらなければならないことはたくさんあるし、

なんのための国際開発なのか、

その問いに情熱以外の部分で答えることができないかもしれないが、

 

インドに来て出会った、ガンジーの言葉が今の僕にはすごくフィットした。

 

Diversity is natural, while equality is not. All people are not born with equal endowments or equal abilities. Any efforts to enforce quality would not last long. Therefore, Gandhi proposed that those who have more, need not and must not be deprived of their possessions. However, they must be educated to care for the others, and hold all resources as a trustee of the community they live in. And this form of a care-based support to all is feasible only when people live in a community, where they know each other as individuals.  

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中村