タイトルが思い浮かばない。
もういよいよ終盤の三浦です。
新年が明けたと思ったらもう半月が過ぎてしまいましたね。
私は中村君、武本君に先立って2月1日をもってインターンシップを終了するため、残すところ後わずかになってしまいました。
そのためこのブログを書くのも、週に二度書いて残り5,6回程度。短い間でしたがありがとうございました。(別れの挨拶が早い)
さて今日はインドに来て最近変わった考えがあったのでそれについて。
時を少し戻って一年半前、大学三年の夏休み。
所属している学生ボランティア団体でカンボジアにて小学校建設活動を実施しました。
そこでの色々と考えたことはあるのですが、一つ私の人生を大きく変えることがありました。
それは現地の学生と話をしていたとき。彼女は日本語を学ぶ学生で、プロジェクトをサポートしてくれる10人ほどの現地学生の一人でした。
現地語のクメール語はもちろん、日本語と英語も堪能な彼女に対し私は、
「三か国語もできてすごいね!羨ましい!」
軽い気持ちでそう言いました。
当時の自分は留学経験もなく、今より英語がずっと苦手で、三か国語話せる彼女に対して純粋に発した言葉でした。
それに対して彼女は、
「私は、日本に生まれたあなたが羨ましい。」
そう言いました。
その短い言葉に、頭をガツンと殴られたような衝撃を受け、その日から何か将来について考えるたびに蘇る記憶です。
その年の年末、家族と近い親戚を含めて旅行に行きました。
もうその時には一年休学して、海外で留学とインターンシップをすることを決めていました。
私「アフリカに行く!! 出世払いで返すからどうかお金を!!」
出世払いに期待していた私は(甘えすぎた)、親や家族の同意を得なくてはいけなかったため、楽しいはずの旅行中にわき目を振らず懇願。
しかし、
兄「無理無理、お前死んだらどうするんだ。」
父「日本にも困っている人がいるんだから、わざわざ海外に行かなくても将来その人たちのために働いたらいいだろう。」
まぁその通り。周りに途上国の経験がある人はおらず、私だけが好き勝手させて頂いていたので、要求は全く聞き入れてもらえませんでした。
酒が入って感情的になっていたのもあり、
「日本に生まれただけで俺たちは幸せなんだよ! なんでわかってくれないんだよ!」
なんてことを泣きながら訴えていました。
みんな笑っていました。まだまだ子供だから計画性はないし、大人がどうやって考えるか全然わかっていないなお前って。
全くその通りです。それでもその時は、そんな風に自分を笑う周りの大人に、どこか悲しくもなりました。いや私が泣いているのが面白かっただけかも知れませんが。
そんな時になぜか隣でもらい泣きしていた年の近い兄(兄は二人います)。それを見てなんでこいつが泣くんだよ!って面白くなって私が笑い始め、その場は収まりました。
兄が泣くのは見たことがなかったので、笑いながらも自分のことをすごく理解してくれた気がして、物凄くうれしかったことを覚えています。
そんなことがありながら、結局は奨学金の貰える国で、一番興味のあったインドに来ることになりました。
色々話してきましたが、ここから私がインドに来てから変わったことを話していきます。
時が流れて去年9月、このインターンシップが始まりインドにやってきました。
初めの日から割と多くのインド自慢を聞いてきました。
グーグルのCEOも、マイクロソフトのCEOもインド出身なんだぜ!!って。
インドはそもそも国内が多文化ですし、言語の多様性があるために英語も堪能な人が多いです。そんなことも相まって、グローバルで大活躍する人が多い国です。
日本とは全然違う国だな、すごいな。そう思うと同時に、それがインドの国としての発展の妨げになっているのではないかと思いました。
つまり、勉学に長けた才能のある人、若しくは、お金持ちの家庭に生まれ十分な教育をお人は、もちろん英語もできる。そういう人は、インド国内では稼げないし、より大きな夢を追いかけてアメリカやイギリスといった世界のトップに身を置きたいと考えるのではないか。
その結果、人材輩出国として優秀なインドだけれども、優秀な人材は海外で働き、そこで富を増やし、税金も納めると。あれ、インドにあまり還元されていないのでは??
そして私はその時、インド人なんだからもっと国のために働けよ!なんて考えていました。
いかがでしょうか。ここまで読んで皆様はどうお考えになるでしょうか。
私は最近この頃の考え方から変わりました。
まず、上で少し出てきましたが、私が父に、日本で生まれただけで幸せなんだよ!と言い放ったように、私が必ずしも日本のために働かないといけないわけではないと考えていることに気付いたため。
同じことがインドで生まれた彼らにも言えるだろうと思ったわけです。
それと同時に、もし彼らがインドのために働く責務があるとしたら、たまたまインドに生まれただけで、生まれた時からある種の負債を背負っていることになります。
先進国に生まれた人が自由にお金を稼いで自由に使ってもいいのに、途上国に生まれたら、母国のために働かなくていけないというのは明らかに不公平だと感じたのです。
「日本に生まれたあなたが羨ましい。」
まさにその言葉を思い出して、生まれた場所の違いだけで、努力しても母国のためにその一部を捧げないといけないなんてことはないなと。あってはならないかなと。
これは私の中で大きな変化でした。
グローバル化と言われて久しいですが、Brexitに続きトランプ大統領就任と、グローバル化に逆流するかのような世界情勢の現在で、私はあまり好ましく思いません。
世界が平等である必要はないと思います。高所得者に対するきつすぎる累進課税なんかは彼らの意欲を削ぎますし、それによって技術の革新が鈍くなるのも考え物だと思うからです。
それでも生まれによって格差がある現実は、避けがたくも目を背けるわけにはいきません。
無理やり平等にする必要はないけれど、先代から受け継がれたおかしな格差を是正し、適切な努力をした誰もがそれに見合った報酬を得られる状態になるべきだろうと思います。
グローバル化は一度停滞するかも知れませんが、長期的にみれば進んでいくでしょう。
その時に、日本を単体で見ると、貧富の格差は広がっていきます。
逆にグローバルに地球全体としてみればその差は狭まっていくはずです。
私はこの動きを、好ましい流れである、と思います。
皆さんはどう思うでしょうか。
三浦