インドでの気づきを通して考えたこと
こんばんは。武本です。
2月28日付でインド・ハイデラバードでのインターンシップを終え、日本に帰国しました。帰国直前ということでしばらく投稿が滞ってしまいましたが、その間にもブログを見てくださっていた方がいて、本当にありがたいなあという気持ちで一杯です。
振り返ればこのブログは中村に誘ってもらって始めたもので、彼がいなければ得られなかった気づきがたくさんありました。インドにいながらまさか6カ月もの間このブログ続けることができるとは正直思っておりませんでした。
自分たちがインドで得た「気づき」をテーマに記事を書いていくというこのブログ、正直はじめは「気づき?余裕やな」とか思ってたんですが、いざ始めてみると、案の定これが難しい。
2カ月目あたりに記事にするネタが尽きた時、
「いや、そもそも”気づき”って一体なんや?!」
というみたいな内容のブログを書いたりもしました。
自分が持っている「当たり前」で周りを見渡した時に
「なんやこれ?!」「なんでやこれ?!」
と思ったことが一番シンプルな気づきだと思います。=気づき①
インドに初めて来たときには、自分も多くのことに驚きました。
というよりもむしろ驚かないものの方が少なかったかも知れません。
道を闊歩する牛、交渉できまる値段、オートリキシャドライバーのやたらと高いテンション、驚くほどフレンドリーな人々、高級ホテルのすぐそばにあるスラム、信号待ちのタクシーを必死にノックする物乞いの子ども。
思い出すとほんとうにきりがないです。
「理解できないことだらけだけど、なぜかまた来たい」
それが僕がインドで感じた第一印象でした。
そんなインドを少しでも理解したいと思いから、勇気を出して大学を1年間休学。
意気揚々とインドに留学に行きました。
しかし選んでしまったのはなぜかインドの魔境とも呼ばれるバラナシ。
最初の一カ月は毎日帰りたいと思っていましたが、
いざ留学を終えてみるとバラナシを選んで本当に良かったなと。
インド人の考え方・論理を理解し、それを真似ることでその時の自分は以前よりも少しだけ、インドのことが分かったような気がしていたと思います。
そしてここからが気づき②、つまり
当たり前と思っていたことを疑うことから生まれる気づき。
たとえば、日本でずっと暮らしている時にはなんでもないことですが、
ゴミ一つないきれいな道、どんなときでも列を作る人たち、びっくりするほど丁寧な接客、英語を使わずとも生きていける環境、一生安定した収入を得られるとされてきた終身雇用制度、などなど。
当たり前だと思っていたことを実は当たり前じゃないと認識するためには、比べる対象が必要になります。
海外にしばらく滞在していた日本人が日本に帰ってくると日本の良さを再認識するというのが、よくある例だと思います。もちろん自分自身もそうでした。
このブログでインドでの気づきを深堀りしていく中で、そうした当たり前と思っていたことの中に、すごく面白い事実が潜んでいることがあると感じていて。
たぶんその中に、「なんで」が隠れていることが多いからだと考えています。
そしてその「なんで」が分かるということは、彼らの考え方に深いところで近づけるということ。
疑わずに無意識に現地に慣れていくだけでは、この「なんで」というところは分からないのではないでしょうか。
日本人であっても異なる環境での暮らしに慣れてしまうと、そこでの「気づき」はなくなります。逆に日本に帰った時の方がいろいろ気づけるかもしれません。
日本に暮らしている日本人に「気づき」がなくなるのも同じことだと思います。
なにかをより深く理解するためには、たぶん当たり前を疑うことが必要で、そしてその「当たり前だと思っているけど実は当たり前じゃないこと」に気付くために、海外にいながらも別の目線を持つというのは非常にいい方法なのではないかと、このブログを通して思いました。
少し話は変わりますが、初めてのインドで自分が衝撃を受けた
所得格差、スラム、学校に行かない子ども、カースト制度
といった現実に対して、バラナシの1年間でひたすらインドに慣れようとした結果、そうしたものを当たり前なんだと考えるようになりました。
しかし、この半年間様々な人に出会い、様々な経験をする中で
そうした現実を疑っていかなければ、本当に彼らを理解することはできないのではないだろうか?
という「気づき」を得ることができました。
これは自分の中では大きな変化だと思っています。
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長々と回想のような感じで失礼しました。もしここまで読んでくださった方がいらっしゃれば、本当にありがたく思います。
今回の「ジャダジャダインド日記」はこれで最後の記事となる予定ですが、また気が向いたら更新するかもしれませんので、どうぞよろしくお願いいたします!
さいごに、エレベーターおじさまと共に。
最後になってしまいましたがお世話になった関係者のみなさま、どうもありがとうございました!
それでは、フィル・ミレンゲー!