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新たな学びと新たな弟子の獲得。

はい、中村です。

昨日、またしてもブログを書けずに申し訳ございません。

業務に追われて、気づきのアンテナを張れずにいました。

 

最近は、よくハウスキーパーのインドママと話すのですが、

この前、日本では聞かないようなことを聞けたので共有しますね。

 

昔、KFCのチキンをクリスマスに日本人はよく食べるなんてことを言ったら、

カナダ人の友達に笑われたことはあるけど、

 

ここインドではですね、もっと驚かせてくれることがありました。

 

なんとKFCのチキンが健康食として認識されていたんです 笑

 

ママ:「KFC chicken tasty and healthy」

僕:「deep fried chicken, no healthy na?」 

ママ:「Dry dry, no oil」

チョタひろ(ママの子供):「KFC chicken??」

 

*チョタひろはとは:

ハウスキーパーの子供に最近ついたあだ名。本名はVeerだが、僕の名前の「たけひろ」の「ひろ」にちなんで、チョタひろ(小さいひろ)と呼ばれ始めている。彼は、チキンというワードにやたらと敏感。下写真は、チョタひろクリスマスモード。

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話を戻すけど、確かに、インド料理の油はすんごい時は本当にすごい。

この前、食った魚のカレーなんて、ラー油みたいな油が3cmくらいあって。

これは、まいったなーなんて思っていたところでした。

 

おそらくですよ、インド人の感覚だと、

「液体」もしくは、「サモサのような揚げ物」とのリンクはあるのですが、

 

西洋から入ってきてるような、フライドチキンとかフライドポテトに対しては

揚げ物という概念がもしかしたら強くないのかも。

確かに、フライドチキンはサクサクしていて、一般的なインド料理でみる油とは違いますもんね。

 

インド人の食に関する考えも非常に興味深いところですよね。

武本とも話したのですが、インド料理って、決して栄養バランスが整っているわけではないな~と。(でもそれを認識してない以上は改善なんて起き得ないですよね。)

 

あくまで、日本人の我々の視点なので、インド料理がどれだけ栄養バランスに偏りがあるのかは分からないけど、インド人のおじさんを見ると、たいていの場合、腹デブかガリガリに区分できることを考えると、問題があるのかもしれませんね。

 

この辺は何かいい論文を探したいのと、食に対する考えみたいなところは、引き続き現地での交流を通して理解していこうかと。

 

 

そして今回は、前回あまり深掘りできなかった点について、引き続き書きたいと思います。

前回何を書こうとしたのかを簡単に述べますと、インドの所得分配とか、貧困層を一括りにされて見えてこない部分をもっと数値としてみたいなということでした。

それで、今回はいいものが見つかったので。

 

まずは、これ。

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(上図:$1.90/日以下で暮らす人々の数と割合)

 

インド全体として貧困層の数が減ってきていると言われるように、

図でも数・割合ともに減ってはいますね。

ただ、2011年時点で、21%ほどの人口が1日1.9米ドル以下で生活してるのも事実。

このカテゴリーに属する人々を数にすると、2.68億人。
(日本の人口が、1.27億人くらいなので、日本の人口の倍以上という事実。)

 

でも、「インドって、生活するの安いでしょ」と思う人もいるかもしれませんが、

(もちろん安いですが、)決して1日1.9米ドルはさすがに大変。

食べ物・他生活必需品を払ったら、もう足りないのではないかと思います。

(払えもしないから路上で暮らしたり、物乞いをしてるだと思いますが。)

 

次は、もうちょっと括りを大きくして。

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(上図:$3.10/日で暮らす人々の数と割合)

 

こうすると、58%までに及んでしまうんです。数にすると、7.31億人。

なので、$1.9~$3.1の間に37%の人口がいたということになりますね。

 

ここまで書いてきてなんだけど、そもそも、この貧困ラインというもの自体、定義に様々な議論があるのは確かで。

例えば、1日1.9米ドルで暮らしている人が21%いるってという情報を得て終わるのと、(それに+1.2米ドルした)1日3.1米ドルにすると、人口の過半数以上がその括りに含まれてしまうことを認識するのでは全然違いますよね。

 

このプラス分(だいたい100ルピー)がどれだけの違いを生むかは定かではないけど、

貧困問題を考える時に大切なのは、貧困ライン以下なのかどうなのかということより、

機会を生かしきれない生活を強いられている人々が一定数いるという事実の認識なのかなとインターンをしていてものすごく思うんです。

 

別に貧困ライン以下の人が2億なのか2.68億かって、そこまで重要視するべきことではないのかと。逆に、1.5億人だったら、貧困について考えなくていいのか。

そいうわけでは決してないですよね。

 

繰り返すけど、貧困ラインというもの自体作られたものであって、現実世界をそんなふうに綺麗に区切ることなんてまずできないと思うんです。物乞いをしたり、路上やスラムで暮らしている人が、このラインを跨いで存在していることは間違いないだろうから。

 

例えば、僕がケニアで訪問したNGOのオフィスのケニア人女性の何人かはスラムに暮らしていた。給料をもらえているから、スラムを出ることだってできるはずなのに、スラムに残るという選択をしているんですよね。

 

なぜかと言うと、自分の世代の生活がどうであっても、子供たちがより良い人生を送って欲しい。だからこそ、スラムに住むことで浮いたお金を教育に使いたいってことなんですって。こうしてみると、問題の根源は、またどこか別なところにありますよね。

 

確かに、世界銀行が決めたある基準を用いて、世界の国々の貧困ライン以下に属する人口の割合を比べられるようになると多分野で役に立つことがあるのだろうけど、その情報から何かを判断する我々は、数を尊重しながらも、数に固執しないようにしないといけないなと改めて思ったところでした。

 

では皆さん。メリークリスマス。

(クリスマスはチョタひろ一家とパーティーします。)

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中村