インドがインドであるために
Sanchai hunuhunchha?
武本です。
さて、先日のバラナシ旅行中はインド人の方だけでなく、たくさんの日本人の方にもお会いしました。
ゲストハウスでは、世界中を飛び回るトラベラーの方々ともお会いでき、とても刺激的な時間を過ごすことができました。
自分も去年の留学中にはインド国内を主に、いろいろなところへ旅行に行きました。
今日は少し回想もまじえて、
「インドがインドであるために」
というちょっと、いやいや、かなりでかすぎる、テーマで記事を書いていきたいと思ってます。
去年の留学中にインド国内だいたい20か所ほどを旅行した中で、印象に残っているのはもちろん、バラナ、ではなく・・・そう、
ダージリン
そして
シッキム
です。
ネパール・ブータンに接するこれらの地域は、インドの中でも特に異色を放つ地域だと言えるでしょう。
これらの地域には古くからレプチャ人、ブティア人とよばれる人々と、ネパールからやってきた移民の人々が暮らしていました。このあたりに興味のある方、詳しくはウィキペディアをご覧ください。
さて、想像してみてください。
何も言われず、どこかも教えられずにシッキムに連れてこられたとしましょう。
見渡す限り広がる山々、はっとするような冷たく澄んだ空気、どこかなつかしさを感じさせる街並み
僕の予想では、そこがインドだと当てられる人はほとんどいないと思うんです。
なんとシッキムが、もちろん場所によってはですが、40年~50年前の日本と似ていると感じる方もいるようです。
地域の言語はもちろんヒンディー語ではありませんし、食文化、コミュニケーションの仕方なども、一般的にイメージされるインドのものとは大きく異なっていると言えます。(この地域ではモモという餃子のようなものや、トゥクパというラーメンのようなものなどが良く食べられます。現地のご家庭にお邪魔した時は肉じゃがのような煮込み料理をふるまっていただきました。)
さて、この地域がインドに編入された(表現が正しいのかわかりませんが)のは1947年、インドが独立したのと同時期です。それまではインドと同様イギリスの支配下に置かれていました。
イギリスによって支配される前は別の国として存在していたこうした様々な国が、独立していく過程で「インド」という結びつきのもと、一つの国になっていったと言えます。
歴史は変えられませんし、ポジティブな考え方もあればネガティブな考え方もあるでしょう。ここではその是非を問うことはしないでおこうと思います。
自分が感じるのは、
インドがインドであるために
人と人が、困難に直面しながらも、多様性の中で生きている
ということでしょうか。
これはむしろ生きざるを得ないという言い方もできるかもしれません。
しかし、日本で生まれ、日本人に囲まれて育った自分にとってはそれがすごく新鮮で、多様性・異なる文化へ順応する力の高さや、コミュニケーションへの貪欲さをインドの人々から学ばせてもらっていると思っています。
現在いる南インドもまたそういった意味で学びを得ることができそうです。
以上、回想編となってしまいましたが、武本でした~。