読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

「気づき」スランプ・常識ギャップ

武本です。

 

このブログは、自分たちがインドで得るだろうたくさんの「気づき」が風化しないように、形にして書いていこうということで、面白写真で定評のある中村のイニシアチブのもと始まりました。

 

始めてかれこれ2カ月ほどになりますが、食文化・言語・仕事などインドのリアルタイムな情報についてご紹介できたかと思います。

 

自分たちのインターンシップに合わせて、このブログもあと3カ月は続けていくことになります。

 

今日は初心に帰って、そんな「気づき」について少し書いていこうかと。

 

なんでこのテーマで書こうかと思ったか・・・正直に言うとですね・・・

 

ここだけの話ですよ。

 

 

 

 

 

 

・・・気づけなくなってきたから、です。

 

スランプってやつかもしれません、はい。

 

いや、ほんとにこんなことを記事にするなんて申し訳ないんですが、悲しきかな、それが現実なんです。

 

ただ、ぐちぐちとそんなことを書いていても仕方ないので、

なぜ気づけなくなってきたか、考えてみました。

 

気づきというのは、「自分がこれまでに経験してきたこと」、(常識とも言えるでしょうか)と、「直面している現実」との間にギャップがある時にうまれるものだと思っています。たとえば、これまでのブログの記事の、

  • 狭いエレベーターの中におじさんが常に座っている
  • クラクションは挨拶がわり
  • 道で牛、ヤギ、犬、猿、リス、ニワトリ、アヒルなどが闊歩している
  • 用を足すときに紙を使わず手を使う
  • カレーは手で食べたほうがおいしい
  • インド人の英語にはクセがある   などなど

こういう気づきも、自分たちが日本人として育ち、日本人の目線を持っているからこそ

「直面している現実」に大きな衝撃を感じ、得られたものです。

 

現地人からしてみれば、

「いやいや、道に動物いっぱいいるのなんてアタリマエヨ!」

とか

「何言ってるか、カレー手使わずにどうやって食べるネ!」

とか

逆に突っ込まれてしまうかも。

 

「そらそうや!だからなんやねん?!」

 

何が言いたいかというとですね、

 

「気づき」を得るためには、常に自分の中で現実とは別の目線の判断基準(常識)をもっていなければいけない

 

ということ。

 

現地に適応すればするほど、「気づき」を得るのが難しくなる理由はこれなのかなと思います。自分が持っていた常識が新たな常識に更新される、そして一度それが常識となると、「気づき」として認識できなくなる。

 

ただ、自分がインドにいて、何よりも面白いと感じることの一つがこの、

自分の常識が更新されていく感覚、です。適応しようという意識が強い自分の場合は、特にそれが顕著に出るのかもしれません。

これはインドだけでなくほかの海外、もしくは日本にいても感じることができると思いますが、インドは特にその振れ幅が大きいと感じます。

 

ただ、その更新された常識に従って日々のんびりと生きていては「気づき」を得ることはできません。

 

「気づき」を得るためには、自分の中の判断基準が多ければ多いほど良いでしょう。そして、いかに自分の常識、日本の常識、インドの常識を疑えるか。これがカギになる気がします。

 

現地にいながらも、現地とは別の目線を持つ、というのはなかなかむずかしく感じるときもありますが、残り三カ月おもしろおかしく、記事を書いていけたらなと思います。

 

熱弁してしまい少し気恥ずかしいですが、以上、武本でした!