インドのビレッジライフ②:インボリューションと日本の発展
ハイデラバードに戻ってまいりました、武本です!
帰って来て早速行っちゃいました、ビリヤニ!やっぱりビリヤニ食べないとハイデラバードライフは始まらないですね~。
さて今日は「インドのビレッジライフ②」です。
前回の続きで、
インドの農村人口が多い理由、これからどのように変化を遂げるのか、
などについて考えたいと思います。
<インターン先企業のフィールド訪問にて。テランガーナ州のとある村です。>
観光地として知られるインドの都市は
北インドではデリー、ジャイプル、アグラなどを始め、西インドのムンバイ、
南インドのゴアやケララ、バンガロールなど、一度は耳にしたことがあるような大都市がほとんどです。
ただ例外もいくつかあります。自分がいたバラナシはまさにそうで、観光客は多いのですが街の発展度合いでいえばまだまだこれらのような大都市にはほど遠いです。この点仏教の聖地、仏陀が悟りを開いたとされるブッダガヤなんかも同じ状況だと感じます。
前回のブログでも述べたように、インドの農村人口は総人口の約6割だと言われています。つまり、上で述べたような大都市に暮らしているのは、インド人口全体からすれば一部にすぎません。そのほかのほとんどの人々は未だに農村に暮らし、農業で生計を立てています。
(少し話は脱線しますが、自分たちが、ある国に対して持つイメージ*1というのは、自分の経験に基づいたり、その国を訪れた人から情報を得たり、そういう人が書いたブログや本などを読んだりして得ていると考えているのですが、自分の経験では日本でインドが語られる時、農村部というものは存在感として決して大きくないと感じています。もちろんこれはどこの国でも同じかもしれません。日本であっても観光客は東京・京都・大阪などを訪れることが多いです。観光を目的として農村部を訪れる方は、なにか特別な目的があるか、よっぽどその国について知り尽くしてしまったかのどちらかでしょう。ただ、インドについて言えるのは、8億人近くの人が農村部に住んでいる、ということです。)
農村では多くの人々が農業に携わっています。農林水産省のレポートによれば、最も生産量が多いのはジュート、次いで小麦やコメなどの穀物類、また、酪農業もインドでは非常に盛んです。インドに来られたことがある方はご存知かもしれませんが、Amulブランドは非常に有名で、ここのアイスクリームは自分も大好きです。このAmulは高品質の商品で消費者から信頼を得て、そこから得た利益の多くを一次生産者に還元する、Cooperativeという面白いシステムをもっています。
インドは近年めざましい経済成長をとげていますが、農業に関して言えばおいていかれている感が強いです。インド中央統計局のデータベースからもこれは明らかになっています。具体的にはGDPにおける農業生産の比率がどんどん低下しています。もちろん農業以外のサービス業、製造業が大きく成長しているということもあるのですが。
長々と書いてしまいましたが、インドの農業のふわっとした状況はこんなところです。
農業にほとんど携わったことのない自分が農村がどうだとか農業がどうだとか偉そうには言えないのですが、知らない世界だからこそ興味が湧いているのかなとも感じています。
さて、「インドにはなぜ農村人口が多いのか」についてですが、興味深いレポートを発見したので参考までにご紹介。日本の人口が農村から都市に移動した要因について分析しています。とても興味深いのが近代日本の農村とインドネシアのジャワの農村との比較ですね。
このレポートでは「インボリューション」が一つのキーワードとなっています。
---------インドネシアのジャワ地域は、自然、社会状況が日本に似ているが、内に向かう発展(=インボリューション)の道を選択した。-----------
----------多くの開発途上国と異なり、日本がインボリューションを経験しなかったその要因は、制度的要因にあったと思われる。---------------------------
http://dspace.lib.niigata-u.ac.jp/dspace/bitstream/10191/6355/1/01_0009.pdf
(現代社会文化研究No36 「近代日本における農村過剰人口流出と都市労働力の形成」 張 垣)
「 インボリューション」というのは,
アメリカの文化人類学者クリフォード・ギアツが1963年に著書”Agricultural Involution: The process of ecological change in Indonesia"で提唱した言葉のようです。
彼がこの著書の中で定義した「インボリューション」とは端的にいえば、
「ジャワで増加した人口が、従来の農業システムに吸収された過程」
のことを指しています。
レボリューション、エボリューションと来て、インボリューションというのはまた興味深いなあと思っていて、要は増加した人口がどういう活動するのかを考えた時に、都市へ出稼ぎに出たり、その村で新しい商売を始めたりすることもできますが、インボリューションではそうではなく、従来の耕作の中でその増えた人口が吸収されるということになる、というのが自分の理解です。
ここで自分の当初の疑問に戻ります。
「インドにはなぜ農村人口が多いのか」
上のレポートに則った、日本の農村人口流出についての簡単なまとめです。
張氏のレポートによれば、近代における日本の農村部の場合は、もともと少なかった耕作地に人口が過剰になったことで農業ではその人口を吸収できなくなりました。そこで、当時の明治政府が民法(土地などの財産は全て長男に相続される。)によって、長男以外を農業から排除する制度を作りました。同時に重化学工業や製造業の成長によって、都市部での賃労働者の需要が急速に拡大し、農業から排除された人口が吸収されていった、と端的にはそういうことになります。第二次世界大戦戦後には、非農業側の労働力需要がますます増加し、農家の長男も流出していき、工業化、重化学工業化を推進していった結果、日本は経済大国になり、逆説的に農業は衰退していきました。
さて、インドの場合はどうでしょうか。
ジャワでは上記の「インボリューション」の結果、第一次大戦以降、農村人口・農村労働力は著しく増加しましたが、結果一人当たりの収穫量はほとんど増加しなかった、とあります。
インド経済は成長していますが、農業のGDPに占める割合は約15%にすぎません。一方で農業人口は総人口の60%、これは他産業と比べたときに農業における1人当たりの経済的生産性が低いということを示しています。
1人当たりの収穫量についてのデータを見つけることはできませんでしたが、農業という産業の性質からも爆発的な増加をしているとは考えにくいです。
インドは現在ギアツ氏の言うこの「インボリューション」の過程にあって、それこそが農村人口が多い理由になっているのではないか、というのが個人的な推測です。インボリューションは縮小的進歩とでも訳すことができるでしょうか。
インボリューションの結果として貧困や欠如は共同体の中で分け合われるにとどまってしまうが、共同体内部に「貧困」という感覚が強くならず、格差が広がらない可能性があるというのがギアツ氏の見解なようです。
みんながなんらかの仕事にありつき、毎日食べていくことができる。
「家族も増えたんだからもっと多くの高い品質の作物を作って、もっと多くの収穫を得てお金を稼ぎたい!がつがつ働こう!」
と考えるのか、
「今でも食べていけるんだから、まずは家族で今ある仕事を分け合って、一人当たりの仕事を減らそう!いくらお金があっても家族が幸せじゃなかったら意味ないよ。」
と考えるのか。
妄想にすぎませんが、もしインドの農業人口の半分が、他産業(ITや製造業)に移ることが可能だとするならば、経済的にはさらに大きく成長するのだろうか、とか考えます。もちろん受け入れるキャパシティが問題にはなりますが。
いやー、ここまで書いてはみたものの、少し難しい話になってきました。国としての方向性というものがカギになってくる気もします。日本の場合は工業化による経済大国を目指しましたが、自分はそれが普遍的なゴールかと聞かれると、うーん・・・という感じです。それぞれの国が協調しながら多様な方向性を持つからこそ、面白いのかなとも思います。
長くなったので「インドの農村部がどうなっていくのか」については、またの機会に書きたいと思います~!
以上、武本でした。
*1:例えばインドのデリーなどで多い観光客詐欺→インドは危ない