激論!! インド人の口喧嘩!?
眠気がすごい三浦です。
節約生活に励んでいる結果、夜寒くて眠れません。
そこにお昼ごはんで大量の炭水化物を摂取。眠気マックスの状態で社長の話を聞いていたら、体調が悪いのかと心配され、眠いだけだと言い出せなくなりました。
眠気覚ましにコーヒーを飲もうと思っても、屋台で出てくるのは砂糖たっぷりでむしろ眠気を助長します。
みんな総出で私を眠らせたいようです。今日は寒くなる前に寝てしまう作戦を取ります。
そういえば先日社員のネイティブプレイスにいってスペシャルなサウスインディアンフードをご馳走していただいたので紹介(カタカナであふれる)。
なんと、私のためにすべてノンベジ。
右上から、マトン、マトン、チキン、ご飯の上もチキンです。
オシャレにバナナリーフに盛って、頂きます。
もちろんスプーンなんて出てきませんよ!
さて今日は言葉にまつわることを書いていこうかなと思います。
まず皆さんはこんなジョークを聞いたことがあるでしょうか。
「国際会議において優秀な議長は、インド人を黙らせ、日本人を喋らせる者だ。」
はい。
私が以前紹介した本でも、一部これに似た記述があります。
これを聞いてからインドに来たので、
「インド人どれだけ人の話聞かないで喋り倒すのかなー」
「日本人の自分が話すチャンスあるのかなー」
なんていう風に心配しながら当初は過ごしていました。
ただ、これまで思いのほか討論好きという印象は受けませんでした。
しかし! つい最近、社員がルームシェアしている部屋に遊びに行ったときに事件が起きました。
と、その話に入る前に
インド人の言葉について、そのままの意味、言語について話しておきたいと思います。
過去のブログでも何度か出てきているし知っている方も多いかと思いますが、インドには非常に多くの言葉が存在しています。
私がインドに行く、インドにいると友達に話した時には、
「じゃあ帰ってきた時にはヒンディー語ペラペラだな!」
なんてありきたりななんとも面白い返しを頂くことが多いわけです。
しかし私が今いるバンガロールはカルナタカ州にあり、ここの公用語はカンナダ語。
そして、会社の人は皆隣接するタミルナドゥ州から来ているので彼らはタミル語を話します。
以前にも紹介したかも知れませんが、お札には15の言語が乗っています。(左側)
(暗くてごめんなさい)
以前滞在していたハイデラバードではテルグ語がメインでしたが、何とかヒンディー語も割と通じるようでした。
ただ、タミルナドゥではどうもヒンディー語を受け付けないようで、ここではブログの共同著者マスター武本様も苦労するかもしれません。
さて初めの話に戻りまして、部屋で勃発した事件のお話。
その事件というのがこの言葉をめぐる熱い議論でした。
私の住むバンガロールは有名な都市で色々なインド各地、世界各国から人が集まります。
実際部屋に住んでいるのはタミルナドゥ州出身が3人(以前は5人が)、マニプール出身が一人という構成です。
このマニプールというのはインドでもずーっと東の方で、地図で見ると一見本当にインドなのかと疑いたくなります。ちょうどバングラデシュの東に位置し、ミャンマーとブータンを含めた三国に囲まれているような位置になっております。
話を聞いてみたところ、親戚の一部はバングラデシュにいるとのこと。
その彼はインドの北東部からやってきているわけで、ヒンディー語が主言語です。
対して残る三人は揃いもそろってタミル語が主言語。
私がいるちょうどその時に(なぜそのときだったのか)突然みんなの声が荒立ってくるではありませんか。
その時の様子をご紹介。(会話は英語です。)
ヒンディ君「そういえば政府の一部がインド全部ヒンディー語にしたいって言ってたな。はは。」
タミル君1「全く馬鹿げてるね。俺らには俺らの言葉があるんだ。」
ヒンディ君「でも、今でもヒンディー語はインドの公用語だし、お前らが学んだら北に住むみんなと話せるんだぜ?」
タミル君1「英語があるだろ!!なんで英語に加えてヒンディー語まで覚えなきゃいけないんだ!!」
ヒンディ君「英語は海外からの言葉じゃないか。まぁ政治家が言ってるだけで俺はお前がそういうならいいんだけどな。でもなんで英語学ぶんだ?コミュニケーションが目的ならヒンディーの方がいいだろ?」
タミル君1「英語があればテクノロジー学べるだろ!ヒンディー語学んでも北のやつらと話せるだけだ!大体ヒンディー語が今まで色んなインドの言葉なくしてきただろ。」(結構熱くなってる)
タミル君2(同僚)「タミル語は今でも話されている言葉で最も古い言葉なんだ。歴史ある言葉なんだからなくすわけにはいかない。みんなタミル語に誇り持ってるからヒンディー語に侵食されるのを嫌がるんだ。」(オフィスで行われるレクチャーではそう説明されますが、ネットでこの情報が出ないので真意は不明です)
ヒンディ君「最も歴史あるのはサンスクリットだろ(笑)」
タミル君2「現存して話される言葉って言ってるだろ!」
まぁこんな感じに、割とお互い譲らずに話し合っていました。
この言い合いが英語で行われるのを見て、ここにインド人の英語力と国際競争力の源泉があるのだなと感じました。
ヒンディーが主な言語じゃない州の住民としては、自分たちの言葉を学び、英語を学び、さらに国の言語があるからといってもう一つ学ぶというのは中々大変ですよね。
島国で、多少の方言はあれどみな同じ日本語を使う私たちとは全然状況が違うのがわかりますね。
最初にも例に出した、
「国際会議において優秀な議長は、インド人を黙らせ、日本人を喋らせる者だ。」
というジョークでインドと日本が対比されていますが、言葉の多様性があり大陸の一部であるインドと、みな同じ言葉を使い島国である日本には計り知れない違いがあるように感じます。
頭の中を覗くことはできませんが、国というものの捉え方も違っているかもしれません。
最後に言い合いの中で放たれた面白かった言葉を紹介して終わりにします。
タミル1「俺たちが小学生のころから言っていたし、今の学生に聞いても同じことをいうこんなジョークがあるんだよ。」
ヒンディー「なんだい?」
タミル1
「『You can kill me but don't teach me Hindi!!』」
「『殺してくれて結構だけど、
ヒンディー語を教えるはやめてくれ!!』」
三浦
タイトルが思い浮かばない。
もういよいよ終盤の三浦です。
新年が明けたと思ったらもう半月が過ぎてしまいましたね。
私は中村君、武本君に先立って2月1日をもってインターンシップを終了するため、残すところ後わずかになってしまいました。
そのためこのブログを書くのも、週に二度書いて残り5,6回程度。短い間でしたがありがとうございました。(別れの挨拶が早い)
さて今日はインドに来て最近変わった考えがあったのでそれについて。
時を少し戻って一年半前、大学三年の夏休み。
所属している学生ボランティア団体でカンボジアにて小学校建設活動を実施しました。
そこでの色々と考えたことはあるのですが、一つ私の人生を大きく変えることがありました。
それは現地の学生と話をしていたとき。彼女は日本語を学ぶ学生で、プロジェクトをサポートしてくれる10人ほどの現地学生の一人でした。
現地語のクメール語はもちろん、日本語と英語も堪能な彼女に対し私は、
「三か国語もできてすごいね!羨ましい!」
軽い気持ちでそう言いました。
当時の自分は留学経験もなく、今より英語がずっと苦手で、三か国語話せる彼女に対して純粋に発した言葉でした。
それに対して彼女は、
「私は、日本に生まれたあなたが羨ましい。」
そう言いました。
その短い言葉に、頭をガツンと殴られたような衝撃を受け、その日から何か将来について考えるたびに蘇る記憶です。
その年の年末、家族と近い親戚を含めて旅行に行きました。
もうその時には一年休学して、海外で留学とインターンシップをすることを決めていました。
私「アフリカに行く!! 出世払いで返すからどうかお金を!!」
出世払いに期待していた私は(甘えすぎた)、親や家族の同意を得なくてはいけなかったため、楽しいはずの旅行中にわき目を振らず懇願。
しかし、
兄「無理無理、お前死んだらどうするんだ。」
父「日本にも困っている人がいるんだから、わざわざ海外に行かなくても将来その人たちのために働いたらいいだろう。」
まぁその通り。周りに途上国の経験がある人はおらず、私だけが好き勝手させて頂いていたので、要求は全く聞き入れてもらえませんでした。
酒が入って感情的になっていたのもあり、
「日本に生まれただけで俺たちは幸せなんだよ! なんでわかってくれないんだよ!」
なんてことを泣きながら訴えていました。
みんな笑っていました。まだまだ子供だから計画性はないし、大人がどうやって考えるか全然わかっていないなお前って。
全くその通りです。それでもその時は、そんな風に自分を笑う周りの大人に、どこか悲しくもなりました。いや私が泣いているのが面白かっただけかも知れませんが。
そんな時になぜか隣でもらい泣きしていた年の近い兄(兄は二人います)。それを見てなんでこいつが泣くんだよ!って面白くなって私が笑い始め、その場は収まりました。
兄が泣くのは見たことがなかったので、笑いながらも自分のことをすごく理解してくれた気がして、物凄くうれしかったことを覚えています。
そんなことがありながら、結局は奨学金の貰える国で、一番興味のあったインドに来ることになりました。
色々話してきましたが、ここから私がインドに来てから変わったことを話していきます。
時が流れて去年9月、このインターンシップが始まりインドにやってきました。
初めの日から割と多くのインド自慢を聞いてきました。
グーグルのCEOも、マイクロソフトのCEOもインド出身なんだぜ!!って。
インドはそもそも国内が多文化ですし、言語の多様性があるために英語も堪能な人が多いです。そんなことも相まって、グローバルで大活躍する人が多い国です。
日本とは全然違う国だな、すごいな。そう思うと同時に、それがインドの国としての発展の妨げになっているのではないかと思いました。
つまり、勉学に長けた才能のある人、若しくは、お金持ちの家庭に生まれ十分な教育をお人は、もちろん英語もできる。そういう人は、インド国内では稼げないし、より大きな夢を追いかけてアメリカやイギリスといった世界のトップに身を置きたいと考えるのではないか。
その結果、人材輩出国として優秀なインドだけれども、優秀な人材は海外で働き、そこで富を増やし、税金も納めると。あれ、インドにあまり還元されていないのでは??
そして私はその時、インド人なんだからもっと国のために働けよ!なんて考えていました。
いかがでしょうか。ここまで読んで皆様はどうお考えになるでしょうか。
私は最近この頃の考え方から変わりました。
まず、上で少し出てきましたが、私が父に、日本で生まれただけで幸せなんだよ!と言い放ったように、私が必ずしも日本のために働かないといけないわけではないと考えていることに気付いたため。
同じことがインドで生まれた彼らにも言えるだろうと思ったわけです。
それと同時に、もし彼らがインドのために働く責務があるとしたら、たまたまインドに生まれただけで、生まれた時からある種の負債を背負っていることになります。
先進国に生まれた人が自由にお金を稼いで自由に使ってもいいのに、途上国に生まれたら、母国のために働かなくていけないというのは明らかに不公平だと感じたのです。
「日本に生まれたあなたが羨ましい。」
まさにその言葉を思い出して、生まれた場所の違いだけで、努力しても母国のためにその一部を捧げないといけないなんてことはないなと。あってはならないかなと。
これは私の中で大きな変化でした。
グローバル化と言われて久しいですが、Brexitに続きトランプ大統領就任と、グローバル化に逆流するかのような世界情勢の現在で、私はあまり好ましく思いません。
世界が平等である必要はないと思います。高所得者に対するきつすぎる累進課税なんかは彼らの意欲を削ぎますし、それによって技術の革新が鈍くなるのも考え物だと思うからです。
それでも生まれによって格差がある現実は、避けがたくも目を背けるわけにはいきません。
無理やり平等にする必要はないけれど、先代から受け継がれたおかしな格差を是正し、適切な努力をした誰もがそれに見合った報酬を得られる状態になるべきだろうと思います。
グローバル化は一度停滞するかも知れませんが、長期的にみれば進んでいくでしょう。
その時に、日本を単体で見ると、貧富の格差は広がっていきます。
逆にグローバルに地球全体としてみればその差は狭まっていくはずです。
私はこの動きを、好ましい流れである、と思います。
皆さんはどう思うでしょうか。
三浦
インドゥのイヌゥ
どうもどうも中村です。
今日はしょうもない話をします。(お許しを)
今さらですが、僕、犬が好きでして。
それですね。この間ものすごくレアキャラを見つけてしまったんです。
伝説のポケモンですね。グラードン級。いや、フシギバナ? いや、カイオーガ?
他にもですね、レアキャラは時々見つけるのですが、インドでみる野良犬って、
だいたいこの犬種。色の違いはあるにしろ、おそらく同じような犬種なのかと。
それで調べてみたんです。
一体こいつらは何者なのか。
Wikiによりますと、この犬種はパリア犬と呼ばれるらしい。(パリア犬 - Wikipedia)
その一文目に何が書かれているかというと、
なるほど。笑
自分を貫き続けていると。
続いて書かれているのが、
名付けた人は、相当正直な人だったんだと思います。
でも、正直すぎませんか。
こんな出だしなので、ついつい読み入ってしまったので、
その後に何が書かれていたかお伝えしますね。
インドのパリア犬は、もともと古代は人に飼われていたものが野生化して生き残り、種として固定された犬種である。 他の地域のパリア犬はほとんどが別の犬種となったり淘汰されたりして姿を消していったが、インドのパリア犬はずっとインドの人々によって大切にされ、犬種として生存してきた。
それを証明するひとつの例は、ヒンドゥー教徒の行うパリア犬を祝福する祭りである。自分よりもカーストが下位の生き物に救いの手を差し伸べることを目的に行われ、パリア犬たちを集めて体を洗い、寄付されたご馳走を与えられる。この祭りがあったからこそ戦時下でも生き残ってこられたと考えられている。
へぇ〜、そうなのか。
やっぱり人間様はいつだって人間様。
パリア犬を祝福する祭りがあるとは、知らなかった。(真偽はいかに?)
現在でもパリア犬はインドではありふれた存在であり、特に駅の近くなどの人が集まる場所に出没する。そこでは実際に触ったりえさを与える事ができ、観光スポットにもなっている場所もある。又、ストリートチルドレンからも人寄せパンダとして重要な存在として重宝されている。その理由はパリア犬を見に集まってきた観光客に物を売ることが出来るからである。
いやいや。笑
これは嘘でしょ。人寄せパンダはよく言いすぎ。
確かにたくさんいますけど、むしろみんな逃げますからね、インドで犬みると。
性格は本来用心深いのだが、人になれている犬が多く、中には全く見知らぬ人の前でごろりと寝転がりおなかを見せる犬もいる。
はい、全くその通り。こちらが実際の写真。
犬:お父さんは仕事で疲れてんだ。
犬たち:マジで、服着せた奴誰だよ〜。あっちぃ。
最後に、
丈夫で遺伝的な疾患はほとんど無く、寿命も長い。
やっぱりそうなのか。納得。
でも、こんなインド。
実は、狂犬病の犠牲者が世界一。その数、年間2万人以上。
(http://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/medi/asia/india.html)
そこで僕、チャイを飲みながら考えたんです。
この野良犬たちを集めて、しっかりワクチン打って、
犬のテーマパークでも開けないだろうか。
そして、テーマパークに、
インド人家族が来たり、
イチャイチャしたいけど場所がないインド人学生カップル
が集まれば、もうみんなハッピーなのかと。
んじゃ、誰が犬を捕まえる?
そもそも犬は、今の生活に満足してるのでは?
お金はどうする?
インド人ってそもそも犬好きなの?・・・
なんて考えてたら、チャイも飲み終えたので、ではでは。
この想いは心の片隅にしまっておきます。
(一緒にやりたい人はこっそりメッセージください)
中村
イチゴの運命をたどれ~インドの物流事情を考える~
武本です。
ハイデラバードで過ごす時間も残り短くなってきました。
先が長いときはあまり何も感じなかったですが、いざ去るとなるとやはり寂しいものです。
自分もつい最近知ったのですが、2015年のとある調査によればハイデラバードは世界の住みやすい街138位、驚くことにインドで最高位のようなんです・・・!
バンガロールが数年前まではインド一位をキープしていたらしいのですが、ここへきてまさかのハイデラバードが大躍進。日系企業の進出数も増えてきているとの情報も。
意外と、意外とすごいんです、ハイデラバード。
ただ、この住みやすい街ランキングで考慮されてるのは
Hi-tech cityを初めとするIT産業で潤っている新市街の快適さでしょう。
Google 、Microsoft、Amazonを始め、ガラス張りの巨大な建物が並び、近くには何でもそろう高級モール・・・。
自分は今住んでるホテルの真裏がモスクなので、朝5時半に流れるアザーンで今日も目を覚ましました。いやだがしかし、これもまたハイデラバード。
住みやすいかどうかは分かりませんが、イスラムの風情ただようローカル感もこれはこれでありなのかもしれません。
さて、本題とはだいぶそれてしまいましたが、今日は写真の通りインドのイチゴについての記事を書こうと思ってます。
インドでこんな美味しそうなイチゴを見たことなかったので、ついついスーパーで買ってしまいました。
値段は80ルピー=120円くらいで、思ったよりも甘くて美味しかったです。
包装されていた紙はとってしまったんですが、ここには
「Farmer's Direct Product」
的な文言が。うろ覚えですいません。日本でいう産地直送ってやつですね。
インドの農業人口が多いっていう話を前のビレッジライフの記事でもしたんですが、
それと同時に農業従事者の暮らしは、天候やその他の条件にあまりに左右されやすく、あまりにもリスクが多いということもご紹介したかと思います。
日本だと、JA(日本農業組合)がすごい力を持っていて、日本の経済成長時代にJAの政府への働きかけがあったから、工業と農業の格差がそこまで広がらなかったという見解がありますが、実はこのインドにも農業組合を始め、組合はたくさんあるんです。
ただ、歴史的に見ると、そもそもの成り立ちに違いがあるようで、
JAの前身となる組織はもともと政府の管轄組織として作られたのに対して、
インドでは政府が直接的には組合の立ち上げなどに関わっていないようです。
脱線してしまいました。
何が気づき、というか疑問かというとですね、
「このイチゴたちは一体どこからどうやってきたのか」
という単純な疑問です。
日本のようにJAもあり、インフラも整った国であれば、想像はできるんですが、
イチゴのように鮮度が落ちやすいフルーツを一体誰が、そしてどうやって綺麗な状態で運んできたのか・・・。
オートリキシャとかで乗っけてきたら絶対もっと無残な姿になってると思うんです。
次回、次々回かはわかりませんが、この疑問をスーパーでのインタビューをかねて解決したいと思います!
以上、武本でした。
SHOTENGAI in INDIAに対する都会人(デリー住)の考え
今頃になって発見が多い中村です。
今回は近所にチベット料理のレストランを発見しました。
いや~、「麺×スープ」これが欲しかったんですよ。
インドにいる人は絶対にチベット料理も食べたほうがいいですよ。マジで。
あとですね、チベット人との心理的な距離感ってインド人とのそれより心なしか近いですよ。やはり外見が似ているからなのでしょうかね。いつも配達に来てくれるお兄さんには感謝ですわ。
ただ、うちの「チョタひろ」は外見なんて気にしないので、配達に来た兄さんにもめっちゃ話しかけます。笑
そんな彼もすくすく成長してます。いや〜、生き知恵をつけてますわ。
さてさて、前回は、武本がいい記事を書いてくれましたね~。
ああいう、ローカルならではの記事を書く価値があるのはわかってるんですけど、意外と難しいんですよね。
外に出て色々と見て、聞いて、感じて、考えてをしないといけないので。
ましては、ヒンディー語で寝言をいうくらいインド人化してる彼なんて、インドの非日常が彼の日常なので、気付くこと自体も大変なのに。
(日本でブログ書くほうが相当楽だと思いますよ、彼。)
そろそろ本題に入りますが、今回はですね、彼の記事に対して僕なりの見解を書こうかなと思います。
彼がこの記事で書いているように、確かにインドを歩いていると、
同じものを扱っている店が、隣接してることはよくある。
さてそれはなぜなのか。
彼の推測は2つ。
①製造拠点もしくは卸売店の比較的近くに販売店が集まっているのではないか。
確かにこれはあるかもしれませんね。(扱っている商品によっては。おそらく重機系)
ただ、すべてのケースが①で説明できるかというとそうではないかなと。
現に、デリーには、同じようなマーケットが場所を変えて存在しているし、都市部に製造拠点があるとは考えにくい。(そもそもデリーのマーケットで売られているものの出どころって一体どこなんだろう。)
また、ハイデラバードだと遠すぎるけど、デリー近郊の都市だと、デリーに買い出しに来て、それを都市で売るっていうパターンが多いと思うので、①の推測は、このパターンを説明できない。
②地図を読むという習慣が比較的薄いインドでは、「どこどこの○○通り!」というようなわかりやすいランドマークがないと、集客ができなかった。
この可能性もありますね。
ただこの場合は、昔から受け継がれてきたものといいますか、まだ物もまだまだ少ない時代に、「この地域は家電製品」、「あの地域は衣服」なんてことが、住民の間に広まって、そういったビジネスを始めることになった人がそこに集中したということなのかなと。
今ほど1店舗が売れる物の種類や数が少なかった時代に、消費者がなるべく多い選択肢から商品を買いたいと、その地域に集中するのには筋が通ります。(現代ではそういったことはあまりないのかなと。特に、衣服や食べ物も場合。)
つまりは、過去にそういった歴史があって、その家業が受け継がれた結果、集中してしまったのではないかと。
実際、現代のインド(とりわけ都市)では、別に大きいマーケットに行かずとも、ちょっとしたマーケットで用を済ませる人も多いと思うので、集客が問題になることはあまりないのかなと。
僕が観察したインドですと、インド人ってビジネスチャンスが転がっているところに飛び込むのかなとむしろ思っていて。例えば、パソコンや携帯を扱う店が密集しているマーケットには、カバーガラスや、パソコンのカバー、イヤホン、スピーカーのように、関連商品を売っている店も多いんです。
これも推測ですが、電子機器を売るマーケットが発展するの見て、誰か頭のきれる人が、「あそこのマーケットでガラスカバー売って一儲けしよう」と思いビジネスを始めて、儲かっているのを見た人が、まだライバルが少ないからとビジネスを始める。
それが結果として、同一ビジネスを扱う店舗の乱立を引き起こしたのかと。(ただ、これらは、割と移動可能なビジネスの場合ですよ。バイク売りのようにある程度スペースも必要で、移動も大変なものはここまで簡単にはいかないでしょう。)
移動が比較的簡単な例でもう一つあげますと、数ヶ月前から、自宅付近やたら、Momo(餃子みたいな食べ物)を売る人が増えたんですよ。インドに来た当初は、一つしかなかったはずなのに、今では、3つ4つ常時目にするようになって。しかも設置場所も、バス停の脇だったり、メトロの入り口の近くだったりと、人通りの多い場所なんですよ。
つまりは、
人通り多い。
→しかもMomoで成功してる店がある。
→よし、俺もMoMo売ろうとなっているのかなと。
なので、僕の推測はランドマークベースでの意思決定がなされているというよりかは、
集客ベースでインド人は動いているというものです。
これまで書いてきたことを整理して、僕の推測を書きますと、
①昔ながらそこに店があった。
まだまだものが少ない時代に、客が集まる場所にと進んだ店の集中化が、子供が家業を継いでいく流れで今も残っているのではないかということ。だから、ここでの店舗が集中した理由は武本の推測に同感。ただ、それが昔に起こったていうのが僕の推測。
②ビジネスチャンスがある場所に集まった結果、同士がたくさん来ちゃった。
成功したファーストペンギンに続こうと、1人、2人、3人と集まってきたのでは。
もともと、収入が低い人々は、少しでもお金を作れるとなると、もうライバルがある程度いる場合でも、ビジネスをはじめるのではないかと。(ビジネスを始めるハードルが低い。)
以上、僕なりの見解を書きました。
また思いついたら更新したいと思います。
実は、僕と武本は、いつもこんな感じで、ああだこうだ言ってます。
ではでは、皆さん。
おやすみなさい。
それとセンター試験を控える読者がいたら(いないだろうけど)、
ブログメンバー3人、インド人一同(10億人超)応援してますよ!
届けーーーーーーーーー!!
中村
ベジタリアン④
22歳になりました三浦です。
インドで寂しいので皆さん是非祝ってください。
就活を控えている身なので先日またしてもTOEICを受けまして、もうそろそろ結果が来ないかとメールを見たら、
「再受験してください。」とのこと。
TOEICって試験に2時間かかるし、その前後に使う時間を合わせれば4時間くらい使わないといけないのですが、まさかの再受験。
しかもほとんどお詫びなしで、無料でできるから再受験してねって。
ここにきてインドの力を見せつけられました。
さて今日は! 以前から書いていたベジタリアンの記事の最終章です!
年末年始を挟んだ結果、まさか③から15日ぶり、①を書いてから27日ぶりという状況になってしまいました。笑
過去のものを読んでいない方は、是非そちらから。
といっても面倒だと思うので、どんな流れだったか一言で要約すると、
①菜食主義者とは
ベジタリアンにも種類がいっぱい!
②インドの宗教と菜食主義
インドめっちゃベジタリアン多い!
③菜食主義と日本と水
バーチャルウォーター??
という流れでした。(全然わからない)
そして今日のトピック!
ベジタリアン④
~菜食主義と私、これからの世界と食~
何から書こうか迷っているので、まずどこに落ち着きたいかを書いておきます。
今日のサブタイトルは菜食主義と私、これからの世界と食となっていますが、
どこに落ち着きたいかというと、これから世界の皆が幸せになれるように、
少し食事を変えてみてもいいかもな。というところです。
ここから思いついたことをどんどん書いていきます。
このブログを書くにあたって第一章が始まったあたりから一つの本を読んでいました。
それがこちら、
ピンとくる方もいるかも知れませんが、ミドリムシでも食べようかなと思っています。
ちょっと唐突すぎました。
この本を読むきっかけになったのが、確かこちらの本。
炭水化物が人類を滅ぼす?糖質制限からみた生命の科学? (光文社新書)
- 作者: 夏井睦
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2013/11/15
- メディア: Kindle版
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どういう流れか忘れましたが、この本でミドリムシの話が出てきた気がします。
ちょっと記憶が曖昧ですが。
フィリピンで留学しているころにルームメイトのマッチョイケメンと筋トレを初めて、そのころにはやりの糖質制限も一時期していました。
それに関してもう少し知識をつけておきたいと思って買った本が二つ目の本でした。
日本や他の先進国でも?糖質制限は効果的なダイエット法では流行っていますよね。
初めは、この”主食”を抜いてしまうダイエットには懐疑的だったのですが、どうも効果があり、メリットばかりのようです。
長期的な副作用なんかはわからないので何とも言えませんが、少なくとも夏までに痩せたい!なんて時には使えそうなテクニックではあります。
糖質制限のダイエットについては多くの人がご存知と思うので省きます。
ここでの私が感じた一つの教訓は、当たり前でなくてはならないといけないものが(ここでは主食であるご飯など)実はいらなかった、若しくは毒にすらなる(肥満や糖尿病など)ということでした。
常識や、先代から受け継がれたものがすべて正しいとは限らない、ということですね。
我々になじみ深い糖質を多く含んだ主食を中心とした食習慣は深く考える余地がありそうです。
というのも、上の様にダイエットまたは病気の予防や眠気の予防(糖質制限の大きなメリットだと思います。)という面からみると、糖質制限食は非常に優れているようです。
ここに関してのデメリットとしては、主食を他のもので補うため食費がかさむことや、前回お伝えしたバーチャルウォーターという視点で見た時に、多くのそれを輸入に頼ることになるところでしょうか。
誰もができる食事法ではありませんね。ダイエット目的の人だったり、年を取ってきて流行っているから試してみたらすこぶる体調が良くなることを実感した人だったり。
そもそも、人間が今の様に70億人を越え2100年には100億人を112億人にもなると言われるほど増えたのは糖質のおかげなわけです。
簡単に作れて、カロリーが取れて、脳に必要な糖質が取れて。穀物万歳です。
こうやって見ると、多くの人が生きるために必要なのが主食、糖質であり、余裕のある人が健康のために制限するのも糖質なわけです。
なんだか面白いなって思うのは私だけでしょうか。
ここまで脈絡もなく唐突に書いてきましたが、大きなテーマはベジタリアンの話でした。
インドにいるとノンベジフードが全くおいていないレストランに行くことはよくあって、私もベジタリアンの料理はほぼ毎日食べます。
ベジタリアンと言ってもお肉を食べないだけで、野菜を食べているというよりは、穀物つまり主食偏重になります。
フィリピンでしていた糖質制限とはまるで逆の、糖質強制です。
それでも多くの人が健康そうに、(まん丸のお腹を健康と言うかはわかりませんが)楽しそうに毎日を過ごしています。
ここまでの話を聞いて、皆様がどう思うかはお任せするとして、私は将来どういう生き方(食について)をするのかなぁ(するべきなのかなぁ)と考えていたので、その話を少し。
そこに関連して出てくる話が、一冊目に紹介したミドリムシの本になります。
そうです。ミドリムシを食べるのです。
え?
ええ?
ええ
虫です。いや、ミドリムシという名前ですが、微生物ですね。
この本を読むまでは、そんなもん誰が食うかいと思っていましたが、悪くなさそうだなというのが今の私の意見。
ミドリムシの詳しい説明は他のサイトや上記の本、その他文献にお任せするとして、まぁ簡単に言うと画期的な食材になりそうだということです。
今の段階では、サプリメントや、他の料理、例えばパスタに混ぜてみたりする程度なわけですが、研究が進めば私たちの食にもっと密接なものになってくるかもしれません。
微生物なのでタンパク質を、しかも青魚に含まれるDHAなども含まれるようで健康には抜群。
もう一度確認すると、今のテーマはベジタリアンであって、何が関係して、自分はどうするのかを下で書いて締めくくりたいと思います。
インドに来て密接に感じた、本で読む読んだり話を聞くだけではわからないこと、それが私にとっては食でした。
ルームメイトが用意してくれる料理も肉は入っておらず、肉が食べたい!とごねることもありました。笑
じゃあ買ってきてくれと言われて向かった先は鶏肉屋さん。その前に置かれたカゴの中には無数の鶏が所狭しと入れられていました。
一羽一羽と調理場?に連れていかれる仲間を見るたびに、次は自分かと恐れているようにも見えました。
そこまでは写真でも確認できますが、強烈なのはその匂い。
鶏肉が準備されるのを待つ間、強烈な生き物のこもった匂いに命を感じました。
それでも肉食をやめるわけではありません。今まで20年以上(今日で22歳、祝って下さい、2回目)続けてきた食生活を急には変えられません。
そもそも今までも肉を食べるのにその命が失われることは知っていたわけで、それが可視化されても、とも言えます。
ただやはり感じることはあって、しかもこれから世界の人口がまだまだ増えると考えると、今の様な食生活をすべての人が出来るとは限りません。
それなら今から準備して、ミドリムシでもゴキブリ(無理)でもなんでも食ってやろうじゃないか!というわけです。
肉を全く食べないわけではなく、今までより控えてみて、その代わりに他の代替できるもので補うというのが今考えていることで、しかも実現できそうなことです。
そういう生き方の転換を、できる人から無理せずやっていく。全地球民が生きるだけの食にありつけるように、ということでいかがでしょう。
糖質制限のような、昔だったら考えられなかったような食生活に今では割合多くの人が挑戦したり、もうそれから離れられなくなってしまっているように、次の時代に備えて、全く新しい食生活、真剣に考える日も近いかもしれません。
ということで!いままで四回に分けて書いてきたベジタリアンシリーズはこんな感じで終わりにしたいと思います!
長かったですね。時間的に。笑
特に提言という形ではなく、思ったことを書いてみただけです。
その中で、皆様に何か気付きがあって、何かを考えるきっかけになっていればラッキーといったところですね。
それではおしまい。お付き合いありがとうございました!
三浦
SHOTENGAI in INDIA~よし、今日はここでパーンを買おう~
こんにちは!
ハイデラバードのビリヤニにも少し飽きてきました、武本です。
しかし、何事も飽きてからが勝負どころといいます。昨日の中村の記事にもあったように、継続は力なり、そして何よりどうやって継続していくかが大事、ということですね。
さて、残りおよそ一か月半で何皿のビリヤニを食べることができるのでしょうか。
乞うご期待、です。
今日は前々回の記事の続きということで、
SHOTENGAI in INDIA!
について記事を書いていきたいと思います。
通勤路のスポーツ通りの朝の光景。
そう、オートリキシャは何でも運べてしまうのです。
この氷の一つは、スポーツ用品店に運ばれて行きましたが、一体何に使われるのでしょうか・・・。
気を取り直しまして、前回の記事では
「インドにはなぜ同じ品物を扱う店が集まる場所が多いのか?」
という疑問について少し考えました。
顧客側のメリットは
・値切り交渉がしやすくなる
・商品の選択肢が増える
といったものがありあすが、
店側のメリットは
・集客力が上がる(?)
くらいしか考えつきませんでした・・・。
(ご意見あればコメントを頂けるとありがたいです。)
なぜ、同ジャンルの商品を扱う店が一つの地域に集まる傾向があるのか。
いろいろな見方ができるとは思うのですが、今回は物流・交通の面から考えてみます。
証拠となる事実はなにもないので、あくまで推測として、
①製造拠点もしくは卸売店の比較的近くに販売店が集まっているのではないか。こうすれば仕入れのために長距離を移動する必要もありません。
②地図を読むという習慣が比較的薄いインドでは、「どこどこの○○通り!」というようなわかりやすいランドマークがないと、集客ができなかった。ある程度人通りのある場所でも、その商品(たとえばスポーツ用品)が必要な人を呼び込むのは難しいのかもしれません。
と、いろいろ書いてみましたが、真相はいかに・・・。
この間もホテルの近くに、見たところ1000台以上のバイクが並んでいるバイク通りを見つけました。しかも、店のたたずまいはほぼ同じ。
1つの店が20台のバイクを販売していると考えると、ほぼ同じたたずまいのバイク屋が50店舗、この通りにある、ということになります。
良くも悪くも、インドでは何をするにも「人」と接しなければなりません。
水を一本買うのにも、いつもより10ルピー多く取ろうとしてくる兄ちゃんがいたり、
携帯の利用料のチャージで、ヒンディー語も英語もわからないおじさんと格闘したり。
いろいろなことがありますが、その中で「人とのつながり」が生まれます。
もちろん強いものではないかもしれませんが、たしかにそうした「つながり」は存在していて、外国人の自分にでもそれは感じることができます。
「あ、今日はあのバイヤーの店暇そうだから、あっちでパーン買っていくか。」
日本でコンビニで買い物をするときには、まさかそんなことは考えません。
もしかすると今回の○○通りの話でも、そうした意思決定の仕方が影響しているのかもしれません。
商品の安さやサービスの質ももちろん大事で、都市部ではそうした考え方も広まってきているのですが、自分はこの何気ない人と人とのつながりや、やり取りがインドの好きなところだったりします。
インドのSHOTENGAIについてはもう少し書きたいことがあったのですが、これはまた次の機会に!インドの都市部の路上商人のお話と合わせて、記事にしたいと思います。
以上、武本でした!